2020年8月28日金曜日

2003年の三池鉄道~廃線跡編~

石炭採掘が盛んだった頃は大牟田駅を中心に円を描く様にかなりの長さの路線を有していたそうで、動いている三池鉄道を見たあとに、廃止になった区間を回れるだけ回りました。
宮浦操車場を見下ろす高台に位置する宮浦石炭記念公園

ここにはナローゲージの貨車や人車などが保存されています

それにしてもこの何の変哲もない丘の下に炭鉱があるとは信じがたいものです

宮浦から時計回りにご紹介
宮原坑跡手前の切通しにかかる古風な跨線橋
この切通しの茂みの方が廃線跡です
宮原坑の立坑跡を横目に見ながらさらに進みます

諏訪川にかかる鉄橋跡

クルマを運転しながらのため途中廃線跡を見失ったので少し飛びまして国道408号線との交差部の橋梁跡。この辺りになるともう荒尾駅に近い地点になります。
鹿児島本線の海側。ネットで見た現役時の写真にあった二股の高圧鉄塔が並びます。
築堤に上がると西原駅のプラットホーム跡がしっかり残っていました!
そのまた先の橋梁と踏切跡
ずんずん進んで四山駅跡付近の火力発電所
もっと進むと次第に敷地が広がっていき…
おそらくこの更地が三池港駅跡と思われます
そこからさらに海に近づくと形の違う架線柱がいくつも見受けられました。
三池鉄道とは別に存在したというナロー軌道の遺構のようです。

今度は宮浦操車場から西に延びる廃線跡をたどります
宮浦操車場から鹿児島本線と西鉄を越えた先(西鉄新栄町駅から西方向)にある橋梁
その先築堤が無くなってゆき、判然としなくなってしまいました。

少し古いレポートによるとこの先に三池浜駅が広がり、終端部近くにホハ200形(有名なロクサン形のコピー客車)が放置されていたという記述があったのであわよくば…と思ったもののさすがに存在は確認できませんでした。

ご覧の通り少なくともこの時点ではまだかなりの部分で遺構が残っており、往時をしのぶには十分ではありました。

そういえばこの本入手しました↓
良く調べられていて参考になります!
・・・それにしても客車列車が営業運転している時代に見に行きたかったなぁ。

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2020年8月27日木曜日

2003年の三池鉄道~車両編~

今年5月に廃止となり、予定されていたラストランイベントも残念ながら水害のため正式に取りやめとなってしまった福岡県大牟田市周辺の三池鉄道(三井化学専用線)。
以前ワタシも鉄道誌やトワイライトゾ~ンマニュアルなどに掲載されたレポートを見て興味を持っていたため、大牟田駅と三池鉄道初体験!【2001】から2年後にも訪問。レンタカーを駆って一周したことがありました。そのとき撮影した写真をこの機会にまとめてみます(以下、2003年9月撮影)。

大牟田駅そばのホテルをチェックアウトして車を借り、まず向かったのは国道208号線の旭町踏切。20年ほど前の雑誌には朝7時頃に宮浦操車場~仮屋川操車場間の貨物列車が走るという記載があったので時刻が変わっていないことを信じて待つと…
18号機が化成品タンク車を牽引して現れました!

貨車を仮屋川に運んだあと単機で宮浦に戻る18号
正面から見るとけっこうスリムです。

この踏切もなかなか絵になるロケーションですね。

その後(どの程度間があったのか忘れました)また18号機が宮浦から出てきて…
仮屋川からタンク車を牽いて宮浦に戻っていきました。

こちらは先ほどの貨車が留置された仮屋川操車場
夏草が茂ってどこまで使われているのか判然としません。


次に向かったのは宮浦操車場

構内を横断する踏切から見ると多くの化成品タンク車。その先に機関車も見えます。

一周しながら留置車を観察
タキ29001 濃硫酸専用車

かなり貧弱な木造無蓋車ハト37

操車場を見下ろす高台にある宮浦石炭記念公園に移動してみました
画像右側に事務所が見え、機関車が確認できます

別角度を見るとコンテナを載せたコキ200の姿も
末期はコンテナ車しか入らなくなったようですが、この頃から置き換えが始まっていました。

先ほどの宮浦操車場の踏切から逆側を望遠レンズで観察
2号機ほか廃車となった機関車が残されています

使われていないタンク車も

それぞれ車号を確認できないかと移動してみました。すると…
2号機の後ろの機関車はナンバープレートが無く確認できませんが、

その奥にいた東芝45t機は20号機と判明(もと南海)。
手前のモーターカーも今見ると気になりますね。

タンク車の方はタキ4850+タキ4851+タキ4853+タキ4852の順に留置されたタキ4850 TDI専用車と判明。そのうちタキ4851だけは全体が見えたので撮影しました。

しばらくすると12号機+蓄電池車デ‐4が動いてきて
タンク車を引き連れて工場に向かって行きます。
さらに踏切で待つと今度は12号機が先頭になって帰ってきました。

2年前の訪問時には見ることができなかった走る様、とくに三池名物のパンタを下げて走る電関の珍妙な光景をこの目で見ることができて大感激でした。
その後レンタカーの機動性を活かして廃線になった区間を一回りしたのですが、長くなるので2003年の三池鉄道~廃線跡編~へつづきます。

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2020年8月25日火曜日

小田急多摩線・4000形&営団6000系の時代【2003】

今回も昔ワタシが気まぐれで撮りに行った写真をアップいたします。
最近小田急線では箱根登山塗装の1000形による出張運用が話題の様ですが、今回は多摩急行が設定されて賑やかになり始めた2003年8月に多摩線黒川駅にふらっと足を運んだ時の記録です。
田の字窓の6000系(6108F)
まだ東京メトロに移行前なので営団マークなのも懐かしポイント。

新3000形(3255×6) 前面帯やスカート形状がまだ初期仕様
…ですがどうにもこの車の外観は手抜き感があって好きになれない(あくまで個人の感想です)

あとは4000形の線内折り返し運用が主でした。
4257×6

4258×6

4255×6 こちらは新宿直通の各停運用
4000形といえば電動車の外側ディスクブレーキが特徴的でしたね。一枚ぐらいシャッターを切っておけばよかったなぁ…

2600形やこの4000形もそろそろ先が見えてきていた頃ですが、当たり前の存在だったこの小田急ヅラの電車が絶滅するなんて想像できないものでした。

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