2018年8月30日木曜日

【2000】九州から885系の上京

どうやら真っ昼間にレール積みキヤの入線試運転が南武線とか横浜線とか結構近所であったそうですが、超情弱のワタシには知る由もありませんでした。。。

悔し紛れではないのですが、JR九州の885系「かもめ」編成が遠征してきた時の画像をアップします。

当時バイトに精を出す勤労学生(笑)でしたので、忙しい土日に当たった大宮の公開イベントには前年の「新旧つばめが出会うとき」(←合ってましたっけ?)と題してC62 2号機と787系が展示された時も含めて見に行くことはできなかったものの、鉄道誌の甲種情報を見て新鶴見出発のシーンは撮影することができました。
2000年(平12)10月 EF65 1059の牽引する甲種輸送

最後尾はクロハ
撮影者の多かった陸橋上を避けるためとはいえ、歩道のない車道の端から撮っていたのは今考えるとドライバーの皆さんに迷惑かけたかなぁ…と少し反省するところです。

鉄道コム&にほんブログ村参戦中、グッと来たらクリックくださいm(__)m
鉄道コム
にほんブログ村 鉄道ブログ 国鉄型車両へ

2018年8月29日水曜日

【1995】最期の池上線7200系

7200系のさよなら運転で東急多摩川線と池上線を7260Fが急行札を掲げて走ったことはだいぶ前に触れましたが(東急7200系さよなら運転(2000年)参照)、池上線専用の3両編成として最後の存在だった7205Fについてはあまり話題にのぼらない気がするのでアップします。

1995年(平7) 8月 荏原中延
この編成、元々は7251F(7251-7351-7551)ともども側面行先表示器を施された異端編成だったのですが、7251Fが1000N`系と交換で目蒲線に転出する際に中間車のデハ7401がそちらに組み込まれ、代わりにデハ7255が挟まれて 7205+7255-7505 の組成に変わっていました。

余談ですが、もう一方の7251Fはクハ7551が上田交通に譲渡のためクハ7554に差し替えられていた(譲渡車の補助電源装置を出力の低い50kVA SIVで揃えるためと思われる)ので
7251-7351-7401-7554 という組成になりました。

五反田にて
その後この編成も4両化されて目蒲線に転出しましたが、電動車がタマ切れになったためクハ7552を挿入して2M2T化。
同線では170kwモーターの7700系以外は3M1Tにしてダイヤに乗せていたので同編成は加速で劣っており、月検査のため奥沢~雪が谷間を回送で行き来する以外は奥沢で留守番をするだけの“万年予備車”状態が引退少し前まで続きました。

鉄道コム&にほんブログ村参戦中、グッと来たらクリックくださいm(__)m
鉄道コム
にほんブログ村 鉄道ブログ 関東の鉄道へ

2018年8月25日土曜日

【OY】東総夏休みフェアでロクイチを垣間見

↑メインディッシュにはあまり近づけませんでしたが…

毎年恒例の東京総(ry…←大井工場と書けないのがもどかしい
の公開イベント。毎年のことなので行かなくてもいいかなぁ…と思っていたところ、今年はご存知の通りEF58 61が久しぶりに展示されたと知って急遽向かいました。

タイムラインをチェックすると開場前とんでもない人数が列をなしている様でしたが、10時過ぎに着くと立ち止まることもなく15分ほどでスルスル進んで入場できました。
おなじみ入場口すぐのクハ901-1

現場に付きものの安全喚起のアレにはよく見ると車両形式が!
芸が細かいw

入場車両たち↓
転属改造中のE231系500番台

E233系1000番台

車体上げ実演に供されたクハE216-2022はスカート無し

E231 500番台と京葉線

車掌体験のE231総武線色の後ろ側

顔が描かれた主電動機

クレーンの操縦席にウェルカムボード♪

中央線と総武緩行線

ようやく一番奥の車両展示に到着。ロープの外から遠巻きに姿を拝みます。

EF64 1001ではなく1052
ぶどう色になってから初めて見ました。

JR仕様の旗竿付きEF81 81

そして、、、
ロイヤルエンジン=EF58 61
久々に姿を現したその姿は昨年のクモハ12以上に神々しいまでの美しい状態を保っていました。
混んでいたので5分ほどで跡の方に場所を譲って離脱。この場所も後で見たら近寄れなくなっていました。

一応撮影の行列の最後尾を探してみましたが、、、
すでに締切
ちなみにこの時点で昼12時。開場から2時間しか経っていませんが、ここまで受付終了が早いとは想定以上にファンが殺到したようです。
なにはともあれロクイチの姿を一目見られれば…と思っていたので本望です( ;∀;)


なお、いつも入換車などがいるこちらの線は今回は空っぽでした。

物販コーナーには模型鉄のハートをくすぐられるような展示は無かった様なので最後に相模線205系による体験乗車へ。
だいたい終了間際に来るので受付に間に合わなかったのですが、今回は並べば乗れそうだったので臆面もなく並んで待ちます。
30分ほど待って乗車
この時は豊田行き表示。

ゆったりめの乗車率で発車しました。

廃材置き場
パンタのシューとかいろいろなものが突っ込まれてます。

先ほどEF64 1052の隣にいた黄帯の209系500番台
これも姿を変えて転出するのでしょうか…

夢中でシャッターを切るお子さま

折り返して乗車地点に戻る途中ですれ違ったE233トウ22編成
まだピッカピカ☆

ここら辺が敷地内からはどう見えるのか気になったので満足したところで次があったのでこれで退散。
ロクイチ効果もあったため今回はあまりにも来客数が多すぎたようで、方々の催しが早い時間で受付を終えてしまったり、オリジナルTシャツが開場1時間もしないで完売してしまったり、遅めに来られたお子さま連れの方は残念な思いをしたのではないでしょうか。

これに懲りず、ゴハチとは言わないまでも来年以降も趣向を凝らしていただきたいものです。

鉄道コム&にほんブログ村参戦中、グッと来たらクリックくださいm(__)m
鉄道コム
にほんブログ村 鉄道ブログ 国鉄型車両へ

2018年8月24日金曜日

【リメイク模型化記念】E751系製造初期のころ

ちょっとバタバタしていたのでタイミングを少~し外しましたが…マイクロエース社からNゲージで特急つがる号仕様のE751系がリニューアル再生産されることが発表された記念に、誕生前後の同系の画像をアップいたします。

1999年(平11) 12月3日
当時の東急車輛で落成して甲種輸送されるところを新鶴見信号所で撮影。
これは1本目のA-101編成だったと思います。

2000年 1月7日
こちらは3本目のA-103編成。

同上。牽引機はEF65 1005でした。
※パノラマモード撮影

2002年 8月 好摩~岩手川口間

同日 撮影場所は忘れましたが東北本線の普通列車で三沢に向かう途中に追い抜かれるとこを狙った写真。
東北新幹線に接続して盛岡~青森間の最速特急「スーパーはつかり」としてブイブイ言わせていた頃です。

2003年 3月 弘前
東北新幹線が八戸に延伸したため特急「つがる」にコンパートされてからの姿。
雪よけのため床下機器にゴムのカバーが付けられ、停車中にそこから雪解け水がしたたっていたのが印象的でした。

651系には及ばないものの、先輩格のフレッシュひたちのE653系のカバみたいなフロントデザインよりスピード感が強調されてよりカッコよくなった気がしたものです。
結局ATCが設置されなかったため青函トンネルに入れなかったのがちょっともったいなかったですが。。。

今度製品化されるのは4両に短縮されてスカートも作り直された姿だそうですが、横浜生まれ(←東急車輛はギリギリ横浜市内)で、かつ弘南とか十和田とかに行ったときによく見かけた存在ということで予約を入れるか悩んでいるところです。
・・・683系スノーラビットとどっちにしよう(-_-)

鉄道コム&にほんブログ村参戦中、グッと来たらクリックくださいm(__)m
鉄道コム
にほんブログ村 鉄道ブログへ

2018年8月22日水曜日

夕張鉄道の遺構

  • 【27年ぶり!】JR北海道の車両たちと夕張支線で夕張入りしたのはただのお名残乗車ではありません。
  •  前々回の定山渓鉄道本の中に「定鉄を札幌から上江別に伸ばして夕張鉄道と接続させる」という“札幌急行鉄道”構想に東急電鉄の五島慶太翁が乗り出していた…という記述があったことから、札幌からどうして炭鉱鉄道である夕鉄につながるのかピンと来ず、夕張鉄道についても調べてみたくなったからです。


夕張駅前のホテルレースイで自転車を借り、まずは夕張の奥地に進んでみます。
奥に石炭博物館があるようですが、残念ながらこの日は休業日で入れず…

その手前の駐車場に立っている煙突は水炭コークス場跡らしいです。

夕張駅側に戻る途中、本町ふれあい公園辺りで見つけた橋台

夕張市役所の庁舎あたりが夕張本町駅跡の模様。

さらに下ってきてセイコーマート夕張本町店のちょっと先辺りにわずかに道床跡が
(画面左寄りの砂利部分)


JR夕張駅を通り過ぎると、JRの線路に沿ってサイクリングロードが続いており、夕鉄の廃線跡だろうと断定して進みます。

ちなみにこの辺りで野生のシカに出くわしました。
自然豊かなところですね!

 鹿の谷駅の構内に入る辺りで夕張川が石勝線を横切っているのですが、そこにレンガ積みの橋台が残っているのを発見!
シラカバの木が生えてしまっているので根の張り方によっては崩落の可能性もあるかも。

JRの線路の方にも現在使われている橋梁に沿って古い石積み橋台とガーダーが残っています。

少し進んで鹿の谷駅の跨線橋から見下ろすと広大な空き地
旧国鉄と夕鉄の接続駅でしたのでヤードがあり、JR線路と離れたサイクリングロードの辺りに夕鉄旅客ホームがあったようです。貨物取扱規模の多さがうかがい知れます。

鹿の谷を過ぎ、さらに清水沢方向に進むとサイクリングロードは再びJR線路に沿います。
「営林所前踏切」と書いてあったので夕鉄営林所前駅はこの辺かな?

もっと進み、、、
車両進入禁止(自転車なら大丈夫のはず)の柵の右には

JRの踏切があり、名称を見ると「若菜駅前通り踏切」と夕鉄の名残。

さらに驚くことに1つ上の画像の右奥には…
茂みの中に石積みのホームが続いているではないですか!!
一時は旅客列車の終点だっただけあってざっと100mくらいはありました。

もう1駅となりの夕製前駅の痕跡はよくわからず。
この辺かなぁ?

その後、一旦道路に合流した後、
↑の煙突は北炭化成工業所

 
再度右に別れ、急な勾配を下り、

JRと交差します。

下から見ると
一部の橋脚は石積みのガッチリしたもの
夕鉄時代からのものでしょうね。

 夕張市平和運動公園を挟んだ向こうには赤い鉄橋も見えました。
現役の頃の地図ではこの辺りで大きくUターンした後、向こうの山地を栗山方面に抜けていた様ですので、この鉄橋も夕鉄のものでしょう。

雨が強くなり、また自転車の返却時間もあるので道道38号線に沿って夕張に引き返します。
途中見かけた古めかしい夕鉄バス車庫

橋を挟んだ対岸には現夕鉄バスの営業所
 古い方は民間にでも払い下げたものでしょうか?

その後、回りまわって室蘭本線を北上しまして
栗山駅手前辺りから夕張方向を見たところ。
車窓をずっと見ていたものの廃線跡はよくわからず。

栗山を出て、今度は江別方面への分岐跡を探すと、
この道でしょうか?

 岩見沢を経由して函館本線高砂に回り、少し南側にある北海鋼機㈱に沿う道へ
ここには腕木式信号機のモニュメントがあることが下調べで分かったので見てきました。

少し先で振り返り
この道自体が廃線跡らしいとのこと

もっと先の野幌駅が夕張鉄道の起点でしたが、今はJRは高架化されているので跡形もありません。

もともと夕鉄は石炭車を小樽方面に逃がすためにここまで路線を延ばしたそうでして、今は札幌の通勤圏内ですので冒頭の構想は分からなくはない印象です。
もし本当に札幌急行鉄道が実現していたら東急グループの経営努力によって夕張も今とは全く違う発展をしていたかも・・・という妄想をせずにはいられません。

鉄道コム&にほんブログ村参戦中、グッと来たらクリックくださいm(__)m
鉄道コム
にほんブログ村 鉄道ブログへ