2015年2月26日木曜日

平成3年「おおみや鉄道まつり」~キハ391とED16 10~


 ネット情報によると、JRの大宮工場で保管されていたED16 10(↑写真中央)とキハ391(右奥)が解体されたようです。
 廃車になってからも永らく姿をとどめていた車両だけに、極めて残念な事です。

 それに便乗するというのも妙ですが、しのぶ意味でそれらの車両が公開された平成3年(1991)10月20日の「おおみや鉄道まつり」の模様をアップします。

新幹線高架下で展示されたクモヤ193
※状況が状況だけに多数の無関係な方が映っていますことをご容赦ください

工場内では外板仕上げ中のスハネフ14などが並んでいます

屋外展示の部
スハフ42 2174(この車も数年前に解体されたようです)

…とつながっているのはおなじみ青大将カラーのEF58 93
手すりとステップのある機関車は格好の記念写真スポット
子どもが邪魔などと思うのは野暮ってもんです

EF15 192(左)とED16 10(右)
 この画像ではよくわかりませんがED16は、現役時代の写真から荒々しさすら感じるリベットを多用した車体に造形美を感じされられたものです。他に保存機があるとはいえ解体は残念です。

EF15の後ろにはかつての第2号御料車用供奉車344
この車の注目すべき点は戦前の1等開放座席と“並ロ”(=リクライニングシート開発前の2等座席)の合造車であるところです。その意味でも大変貴重な存在です!!
その1等座席
「御料車物語」という書籍によると、戦前の供奉車には随行軍人がサーベルを置くために網棚が2段設置されているという記述がありまして、右上にそれらしき奥行きの狭い網棚が写っています。
皇族用車両なぞよくぞ公開してくれたものです!

そしてもう一方の渦中の車、ガスタービンエンジン試験車キハ391-1
この頃はピカピカでした
試験そのものは実用化に至らなかったので技術的価値はいまいちだったかもしれませんが。。。

「くつろぎ」のヘッドマーク付きEF65 1059

隣は鉄道博物館に収蔵されたDD13 1

さらに後ろにEF200-901と、、、

現役のD51 498
もちろん大人気です

 公開・非公開問わずここ大宮工場内には数多くの貴重な車両が保管されている事で知られていますが、それらがなるべく有効活用されて欲しいものです。スクラップにされてしまっては二度と甦りませんからねっ。
※今回の写真はトリミングを施しました

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2015年2月20日金曜日

総武線1988~

 ある程度まとまった枚数の手持ちの写真をサルベージできたので、今回の気まぐれネタは総武線です。

昭和63年秋 西船橋にて
黄色い301系と非冷房の営団5000系の並び、働き盛りな頃という感がなかなかです。


 こちらは同じ頃、錦糸町で撮った183系1500番台「さざなみ」&「わかしお」
ワタシにとって地元の品鶴線(←ちなみにこの呼び方は地元では貨物線時代=大昔の路線名と解釈されています)ではこの183系は稀にしか現れない存在なので、何となくくすぐられる存在でした。

平成元年5月 品川
平成2年6月 新川崎~西大井間(田園調布高校裏)
 平成初頭には開業したばかりの成田空港駅から伊豆急下田までの「ウイング踊り子」として品鶴線も走るようになり、通過時間には一目見るためによく線路端に足を運んだものです。
 なお、↑の写真の場所では当時はフェンスに隙間があったのですが、今はフェンス越しでなければ撮影できません。
※ここまでの画像はトリミング済み

平成2年10月 新鶴見•小倉陸橋
 たぶん大船始発に延長された「わかしお」。行楽シーズンにはそんな事もしばしばありました。
 写真はないですが、この183系0番台の先頭貫通扉を開けての+3両増結を目の当たりにしたときは驚嘆したものです。

15年くらい前に撮った緩行線の103系
低窓先頭車はいつの間にか見なくなった印象です。

一方こちらは元ATC車の103系
そろそろ引退が近づいてきた時分に秋葉原で撮った一枚です。

↑は平成10年12月30日
三鷹電車区に立ち寄ったらなぜか勝田の485系がいたのて抑えておいた写真
黄色い201系とのツーショット!! 485系はきっと乗務員訓練のために来たのでしょう。

 この201系もよく見かけるありふれた存在でしたが、あれよあれよと言う間に京葉線と青梅•五日市線に異動してしまいました。

 通勤形はついでに撮ったものばかりですが、10年以上寝かせるとこうしてネタにできるので写真は撮れるうちに撮っておくモノですねぇ(しみじみ)。。。

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2015年2月16日月曜日

2/16 彩&本日の機関車モノ

 茅野市民号として昨日伊東へ行ったジョイフルトレイン「彩」が帰って行くところを新鶴見機関区の裏で見送りました。
液晶テレビ式のヘッドマークと邪悪なヘッドライトを強調したかったので真正面からの構図で捉えました。
乗ったことはないですが、垣間見えた車内は個室があったりして楽しいそうです。(16:58)

こちらは彩の前のEF200-7牽引高速石油列車5079レ
EH200と重連で根岸まで行った帰りのEF200運用です。
西日がイイ感じで当たりました。(16:43)

彩の後に来たEH200-23牽引5474レ
やっぱり重連の片われらしいです。(17:08)
※時刻はデータ上の時間です

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2015年2月15日日曜日

MODEMO東急デハ150 レビュー

 このところ“自分的に模型化されたら喉から手が出るほど欲しい”車両のリリースが相次いでいまして、嬉しい悲鳴を上げっぱなしです。ぎゃぁぁぁーーーーーっ! 懐がイタいーー!!(←心の叫び)
 ってなわけで、鉄コレに続いて10月予定だった東急デハ150形が絶妙なタイミング(←軽い皮肉)で手元に届いたので、勢いまかせにレビューします。

第一印象はツヤが随分と抑えられている印象。そのせいでパっと見厚ぼったく見えるかも。。。

側面
基本的に2両とも同じ両運転台車ですが、ライトは編成両端側のみ点灯。出入口表示も異なります。

屋根
濃いグレーです。時代設定が鉄コレ3500(鉄コレ東急3500レビュー 【ヨコハマ鉄道模型フェスタ】参照)より前であり、この頃は屋根全体が絶縁処理されているはずですので的確な表現です。

前面
4箇所とも渋谷行きが印刷済み。
カプラーも4箇所ともいつもの首が据わらないTNカプラーを装着。

ヘッドライト点灯
こういう撮影にはスマホカメラって便利♪
※撮影のためトレーラーだけ光らせました

テールライト点灯
点灯するよりわずかに早く動き出すようです。
とはいえデハ80の製品は点灯しなかったことを考えると嬉しい進歩です。

走り
動画撮影は省略しますがいつもどおりスローが効いて、いわゆる“ヌルヌルうごく”という具合です。
暴走させないオトナ向きですな。

こーゆう風にシャッフルすると萌えます
この色の頃 異形式の連結は多分無かったと思いますが。

パンタを白緑色に塗装したかったのですが、がっちり接着されていたので諦めました。ボディのクリヤー吹きだけはしたいところです。

 実車は玉川・砧線廃止で世田谷線に封じ込められるとグリーン一色になり、昭和58~59年に更新工事で片運転台化とコルゲートの無塗装ステンレス板化などをされました。末期仕様もきっとそのうち出るんてしょう。

 デハ70と80は末期にはカルダン化されたのでこのデハ150は名実ともに東急最後の吊りかけ車です。そんなことや末期の頃通学で乗った思い入れがあるので大切にイジって遊びます。

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2015年2月13日金曜日

追悼 東急7600系

昨日2月12日、雪が谷検車区から恩田(長津田工場)へ7600系最後の一本01Fが回送されました。
このまま廃車となる可能性が濃厚ですので、そうなるとダイヤモンドカット=7200系一族は東急からは全滅します。

ワタシは回送列車は見送ることが出来なかったため(泣)、1日遅れで恩田の様子を見てきました。

 恩田駅ホームから眺めると、7661だけ切り離されて置いてありました

駅を降りて沿道から見てみると、7601と7681が見えました

7601
改造当初は7650形とペアの電動車でしたが、7660形の組込みとともにクハになりました。

7681
7650形が室内更新時に運転台を撤去されて7680番台に改番。
制御器は1C8Mの物を1C4Mとして使用(←東急ではよくある事です)。

運転台撤去跡
外観はそのままですが室内は巧妙に座席化されていました。

両車間の幌とジャンパ線はすでに切り離されています。

寒空の下、鈍く輝くステンレスボディ

ついでに、、、
テクノシステム側には1407-1457ユニットが置いてありました

珍しく東急バスも
ナンバープレートが無いところをみると、これも廃車のようです。
※もちろん敷地外から撮影してます


ここでちょいと7600系の足跡を振り返ります。
昭和61年(1986)、デハ+クハが基本であった7200系を目蒲•池上両線に転属させるため3両編成に組み換え、余ったクハを寄せ集めて編成を組むために電装化。ついでにVVVFインバータを搭載した車で、日本初の2両ユニットVVVF車でした。
↑は昭和62年夏に撮影した第2編成。大井町線から目蒲線に異動してきた頃。
デハ7662が電装工事中であったためデハ7200との暫定3両で、一番遅くまで赤帯が付きませんでした。

平成3年春撮影の赤帯が付いた7601F。7600で最初に池上線にやって来たのがこの編成。

で、平成6~7年にワンマン化を兼ねて室内更新され、歌舞伎塗色になり(↑は平成20年1月のもの)

廃車が進んでラスト1本となった去年11月“クラシックスタイル”となっていたわけです。

ただ末期は電子機器が劣化したのか休んでいることが多くなりまして、、、
車庫内入替え中とか、、、

一番奥の定位置に収まっているところ位しか見られず、ちょっと残念でした。。。

 7200系一族として捉えると、何よりも昭和59年に吊りかけ100%かつ冷房車率0%だった池上線に2本の同系冷房車が入った時の歓迎ムードが忘れられません。
 せめて上田•豊橋•大井川の各新天地に渡った仲間の1日も長い活躍を祈ります。

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