2014年10月30日木曜日

グリーンライン増備車~陸送編~

 
のつづきです。
平成26年1月12日、甲種輸送で横浜本牧駅に到着、かなりんのDD55 16に入れ替えてもらった10000形。
このリバイバル機が登板したのはサービスですな。。。

ここでじっくり観察してみました。
通常は見られない先頭車同士の連結

1号車=10161

2号車=10162

3号車=10165
※1の位の3~4は将来を見越して空いています

4号車=10166
 
機関車と連結するため付け替えられた連結器

本来の台車より直径が大きいのでスペーサーをかませて装着している仮台車

こっちが本来の台車
リニア駆動ならではの小径車輪

そして夜中
ゴムタイヤを履きトレーラーに繋がれて待機
この日は2両が陸送されます
 
日付が変わった頃川和車両基地に向け出発しました
横浜本牧駅南側の車両出口から反時計回りで大回りしてまずは市電が通っていた本牧通へ
 
↓モチロン信号待ち中にフラッシュ無しで撮ってます
根岸・磯子駅そばを過ぎ屏風ヶ浦から環状2号線へ入ります

 ワタシはクルマで追跡していたのですが、1両目と2両目の間隔がだいぶ空いており、両車の間を走っていたところ東戸塚付近で大型変圧器を積んだトレーラーとすれ違いました。
 前回書いた「羽沢に同じ日に着いたシキ」から卸して戸塚に向かうモノと思われます。たまたま見失っていたタイミングでしたが10000形ともすれ違ったことは間違いありません。なんという奇遇でしょう!!

 さらに環2を北上し、新横浜手前の「岸根交差点」で川和方面に左折したことを見届けたところで眠くなったので離脱しました。←もうちょっと頑張ればよかった(汗)

 その後、無事車両基地に到着した10000形は試運転の後、3月29日のダイヤ改正から営業運転入りし、グリーンラインの混雑緩和に貢献しましたとさ。めでたしめでたし。
 
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2014年10月28日火曜日

グリーンライン増備車(H26.1)~甲種輸送編~

 今年1月に実施された横浜市営地下鉄グリーンラインの10000形二次車の甲種輸送は、ワタシは一次車の時を見逃したので気合いを入れて追いかけました。その時撮った画像をまとめます。

1月10日、勤務の都合で夕方の東海道線彦根通過から参戦しました。
彦根駅付近の仙琳時の跨線橋にて
EF65 2096の牽引で神奈川に向かう10000形

この先、関ヶ原付近の雪害で抑止がかかり、米原貨物ターミナルから稲沢までは遅れが発生しました。そんななかワタシは大垣と名古屋で通過を見送りましたが日没後のため動画の撮影だけに留めました。そのシーンは一番下にアップした動画編に収めています。

翌朝、横浜羽沢駅に到着
 丸1日屋根の下で留置されます

羽沢にはたまたま同日の未明に積車の大物車=シキ611B1が小山から到着していました。

12日夜明け前、一旦新鶴見信号所に上ってからスイッチバックして臨港貨物線・根岸線経由で根岸駅に向かいます
↑高島水際線公園付近。牽引機はEF65 2088

根岸からは神奈川臨海鉄道に入り横浜本牧駅に到着。鉄路での輸送はここまでです。
到着後、リバイバルカラーのDD55 16に入れ替えられる10000形
 
↓動画版です↓
 
参考資料:鉄道ピクトリアルNo.888
 
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2014年10月24日金曜日

本日の機関車モノ‐石炭列車牽引原色PF‐

いつもはEF64が牽引するうんたん列車5783レにEF65 2121を先頭に
新鶴見信号所に停まっており、あわててカメラを手にして撮影しました

いっぽうこちらは単2895レのEF66 36(左)
5783レの数分前に発車していきました

発車時刻直前に前照灯をハイビームにされてしまいましたが、動き出しをなんとか記録できました
 
 JR貨物にはもう2両しかいない特急色のままのEF65PFはワタシの世代にとってブルートレイン牽引用のヒーロー的機関車でしたので、動いているのを見ると急いでいる時でも撮影したくなる困ったヤツです(笑)
 しかもよりによっていかにも国鉄臭い石炭列車に…などと思いながらニヤけた夜でした。

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2014年10月22日水曜日

北の電車博物館 弘南鉄道【1989】

 鉄道雑誌一斉発売日を迎え、今月は鉄道ファン誌の最新号(2014年12月号)の弘南鉄道の記事に触発されました(笑)。

 この平成元年(1989)には、東急線が世田谷線以外ステンレスカーに統一されてすっかり色彩が乏しくなったことに食傷気味になり、8月下旬に東急を卒業した電車が走る弘南鉄道に乗りに行きました。
 当時、大鰐線にはステンレスカーの第一陣が投入されたものの未だ旧型車が多く見られて、西の琴電(ことでんのレトロ電車(2006)辺りを参照ください)とともに「動く電車博物館」と称された面影が残っていました。
その時の拙い写真を披露します。

大鰐線 津軽大沢検修区
 だいぶボロっちくなっていたモハ108 車体は京急デハ403のなれの果て
前面はイメチェンしたものの側面の大きな窓がその面影を残してます

左からクハニ1271、7037、6005、モハ108(黄ばみはプリントのにじみです)
ステンレスカーはデビュー1年足らずでパリッとしてました

上のクハニの裏に回って、元東急のモハ3404
窓が小さいままなので印象が違いますが東急デハ3450形の兄貴分です。
ワタシはこうゆう野暮ったい雰囲気の電車にゾクゾク来る性分なんです♪

クハニ1271(右) 元伊那電気鉄道の荷物合造車
さすがにもう荷物を積むことは無かったと思われますが、3400との不揃いなコンビがまたイイ!!
奥に見える倉庫はモハ106か107…かな?

中央弘前
西武経由でやってきた、もと国電のモハ1122&クハ1612ペア

 この2両は同年秋のステンレスカー第二陣到着後も「ビール列車」専用として川造型クハと3両編成になってしばらく生き長らえました。
 それに備えてか検査・再塗装をしたようで、ピカピカな状態で快速運用に入っていました
モハの画像の奥に見える担当乗務員のお二人に「兄ちゃんどっから来たの?」「写真撮る間どいてやるよ」的な声を掛けてもらったのも良い思い出です。

奥羽本線車内から見た大鰐駅の改札(左)
改札を入るとJRのホームを通行する地方ならではの構造
今もそんなに変わってない…かな?


弘南線に飛び、弘南黒石に到着
モハ3613
東急時代は写真でしか知らないのであまりピンときませんでしたが、東急線で活躍した元国電戦災復旧車。隣りには仲間の増結用クハが置いてありました

クハ3775
同じく東急から来た車、この全金属車体の方にはなじみがあります

弘前
クハ3779 やっぱり東急の元戦災国電
この車は上の3613と違って貫通路が生きているので好ましいスタイルです♡
 このほか阪和電鉄出身のクハ2025・2026や17m国電サハ17の先頭改造車なども車窓から確認しましたが写真は撮れず(泣)。
 弘南線にはステンレスカーが入る直前で、東急つり掛け車が都内とはうって変わって一面の田園地帯をのんびり走っていることに感激しました。


 同じ旅程で三沢にも足をのばしましたが、時間を見間違える痛恨のミスで十和田観光電鉄線には乗車体験できず、この一枚を撮っただけで引き返しました↓。
発車を待つモハ3401単行

※参考文献:RM  LIBRARY 132~133 弘南鉄道 上・下巻
※2024年4月24日 修復画像に差替え
JR:東北エリア‘89
もあわせてご覧ください。

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