一週間前のビバ! Y156 ~651系&583系~で実車をひさびさに見て、限界一杯のボディといい昼行特急と色違いのブルーの塗装センス(←幼少期に特急色+ブルトレのブルー=583系の“月光色”ということをはじめて知ったときには目からウロコを落とさんばかりに感激したものです)といい、やっぱりかっこいいな~と惚れ惚れしました。
ってなわけで興奮冷めやらぬうちに小特集します。
はつかり
平成元年(1989)8月 東北本線(当時)三沢
当時東北新幹線の終点が盛岡だったので、盛岡発着の特急「はつかり」が多数運転されており、583系も臨時便を受け持っていました。この時は青森から三沢まで移動するため初めてこの電車に乗ったのですが、ボックスシートの向かいに座った年配のご夫婦がたまたまワタシの地元の近くに以前住んでいた方とわかりビックリしたのも良い思い出です。
流し撮り?がキマってる様ないない様な写りなのはご愛嬌として、構内の貨物ホームにワムが入っている光景も趣きがあります。
この後は北の電車博物館 弘南鉄道(1989)の通り十和田観光に向かったのです。
津軽
平成3年(1991)8月 日暮里
山形新幹線工事のあおりで電車化された急行「津軽」(写真は上野からの折返し回送)。
全車座席車扱いで、寝台車の設定がないのはもったいなく思ったものです。
はくつる
平成4年8月 東十条
下の赤いイラストマークの「ゆうづる」と対照的な青いマーク。
ゆうづる
平成3年8月 日暮里
この頃2往復あった季節列車「ゆうづる」。この電車を人生で初めて見たのはこんな風に常磐線ホームを通過していったシーンだったと思います。写真ではキレイな方ですが、もっと前の国鉄時代は概して車体が土色に薄汚れており、大柄な車体とあいまってえもいわれぬ迫力がありました。
甲子園臨時
シチュエーションを一から説明しますと、上の「津軽」「ゆうづる」などの撮影をしようと日暮里に向かう途中、京浜東北線に乗っていたら突如現れた583系(盛アオ車)に抜かれてビックリ仰天!! 品川で追いついたので撮影したのがこの写真。ヘッドマークを見たら「専大北上高校」の文字があったので甲子園帰りの応援団列車とようやく理解しました。品川でスイッチバックして山手貨物線周りで北上したようです。
普段気にしていなかった高校野球の予定を血眼になって調べ、次の試合の翌朝蒲田のタイヤ公園前で待ち伏せて撮ったのがこれ↑(この写真だけトリミングしてます)。案の定明け方の東海道線を再び駆け抜けて行きました。
東海道本線のこの区間を走る583系は本当に珍しいことで、数えるほどしか実績を知りません(このエリアを走る場合は今で言う湘南新宿ラインか武蔵野線経由がほとんどです)。
テーブル1つとっても室内の座席の袖から4分の3回転させて出し入れするなど、座席と寝台の両立のためありとあらゆるところにカラクリが仕組まれ、逆に言えば相当な無理をした設計の車両であることを感じされられました。
昼夜を問わず走ることを宿命づけられたこの系列の傷みが激しいのは無理もなく、今だに走れる車両があること自体が奇跡的…と見かけるたびに感動を覚えます。そのことに対して星2つ(←電車三段寝台=★★だけにw)といわずもう1つ2つ差し上げたくなります。
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