2015年3月3日火曜日

大糸線in1991冬

 今はむかし、冬になると皆スキー(←スノボが流行る前の時代です)をしに人々がゲレンデに殺到していたため、沿線に多くのスキー場を擁す信越エリアにも臨時列車が多数運転されました。その様を垣間見た平成3年(1991)12月の記録です。
…まぁろくな写真は有りませんが。

165系快速「ムーンライト(←時代的に列車名に“えちご”は入らない頃)」の内の3両を長岡で切り離して信越線新井まで行く臨時便に席を取り、直江津まで乗車しました。降りてまず撮った一枚↓
165系ムーンライト(クハ165-195)と信州色115系の顔合わせ
参考までに、手元のメモによるとこの時のムーンライトの編成は新潟方から、
クモハ165-76+モハ164-823+クハ165-105(←ここまで新潟経由村上行き)
+クモハ165-130+モハ164-853+クハ165-195(←こちらは季節運転の新井行き)
でした。

関西からの485系「シュプール妙高 志賀」
凝ったデザインのヘッドマークが写欲をそそります♪

その後乗り継いだ快速富山行きは嬉しいボンネット485系!(クハ481-113)
編成後部(直江津方)からクハ481-113+モハ485-160+モハ484-262~の編成で、車番から推定しておそらく金沢運転所持ちの485系7両の特急しらさぎの前運用。特急の間合い運用も近頃だいぶ減りました。

ちなみに隣りは機関車故障で止まっている「北陸」。その遅延のあおりで乗って来たムーンライトも来迎寺駅で足止めされて1時間半ほど遅れて直江津到着。そのため事前にチェックしていた列車のうち一部は見逃しました😭

…で、糸魚川まで移動。
朝方南小谷に到着後にここまで回送されてきたらしいシュプール号用14系を横目に見つつ、大糸線に乗り換え。

途中(根知?)でキハ181と交換。

さらに進むとDE10 1027を最後尾に連結したプッシュプルの14系とも交換(平岩?)。
この時は見られませんでしたが、他に20系やエーデル用キハ65、サロンカーなにわ、
ゆうゆうサロン岡山などによる「シュプール白馬 栂池」号の設定がありました。

大糸北線の車窓から見た雪景色

白馬に到着。ここまで乗車したのが左に小さく映る緑系キハ58(キハ58 1000+キハ58 1124)。キハ52が転入して来る以前に活躍した大糸色車です。
側線には臨時夜行「アルプス」としてやってきた169系信州色車が留置中。こちらは拡大するとクモハ169-3と読めますので、松本から三鷹電車区に異動した編成ですね。

改札でねばると南小谷からの167系宮原車による季節急行「くろよん」が現れました。
 松本で長野からの「ちくま」と併結して中央線西線回りで大阪まで行くというちょっと気が遠くなるような列車です。
走り出しを撮ったのでブレブレですが、167系の特徴である狭幅ドアが確認できます。

 この少し後、大糸線非電化区間がたびたび土砂災害に遭ったり、巷のスキー・スノボ熱自体の一段落などにより、ここまでに挙げた画像の頃
~一度撤去された行き違い設備を復活させたり、定期列車の代走という形で臨時列車を直通させるなど(DCのシュプール号は普通列車との混乗なんていう手段も取られたとか…)大変な活況でした~
にくらべるとずいぶんさみしくなったものです。

 そこで間近に迫った北陸新幹線糸魚川駅開業です。“新幹線効果”がここ大糸線にどこまで波及するか期待です!!
※2024.7.3 修復画像に差替え

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