驚くべきことに今年で1997年の信越本線ヨコカル(横川~軽井沢間の碓氷峠)廃止から四半世紀が経ちます。
25年前の今頃、あまのじゃくなワタシはヨコカルフィーバーに萎えてそちらには足が向かなかったものの、まだ特急街道であった高崎・信越線には興味が向いていました。
そんなわけで1997年の3月、ふらっと安中まで来て駅の近くで列車撮影しました。
写っている189系は「あさま」マークが出ていませんが回送だったのでしょうか?
ローカル運用の115系
画像奥に小さく安中駅と東邦亜鉛の工場が見えます。
振り返って下り「あさま」
長編成の189系が多数行き来していたのが普通の光景でした。
安中発着の貨物列車(いわゆる「安中貨物」とは別)の小運転もありまして、これは熊谷貨物ターミナルで3881レから切り離された濃硫酸タキ主体の列車で、この頃はEF64 1000番台の牽引でした。
別の日
今度は高崎線行田の上野方で583系「シュプール上越」の折り返しの回送を待っていると…
↓
ちょうど189系「あさま」とすれ違いました。
583は高崎線にそんなには来ない存在でしたのでちょっと面白い光景が記録できました。
おまけで当時運転されていた残土輸送コンテナ列車
さいたま新都心造成で発生した残土を熊谷貨物ターミナルまで輸送していました。
前にも書いた気もしますが、この頃は他の人が撮っていない角度で撮影したい…という考えからこんな風に線路から離れて撮影していました。
今見返すと車両があまり見えないので資料的価値があまりないものの、情景の記録としてはまぁありかな…と最近になって思えてきました。
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