東北の太平洋沿岸部ではあの大津波より道路が寸断されたことによりガソリン・軽油の深刻な供給不足に陥り、そのSOSに応えたのがJXエネルギー社(元 新日本石油)とJR貨物。不通の東北本線を避けて根岸からまず上越・羽越・奥羽線と青い森鉄道経由で盛岡まで、続いて新津から磐越西線経由で郡山までのルートで輸送を開始。それによって復興に一役買ったのでした。
車両面でも、すでに貨物輸送を止めていた磐越西線では散り散りになっていたDD51の元所属機が新津に、京葉工業地帯のコンビナート火災で運行が停止していたものを含む古参タンク車タキ38000形が根岸にそれぞれ参集。
走行線区でもコンテナ車以外の車扱貨物が途絶していた線もあるなか超法規的措置で運行計画が立ったのでした。
根岸発運行初日の2011/3/18、経路の新鶴見信号所に隣接する新川崎ふれあい公園には噂を聞きつけたファンが数十人発車を見送っていました。
36t積のタキ38000に白羽の矢が立ったのは45t積のタキ1000に比べて軌道への負荷が少ないこともあったとのことですが、この日以降はタキ1000も積載量を減らすことで投入されました。
3/29 この日は新鶴見からEF65 1078が牽引
4/14 EF210の牽引でラッシュ時間の関内を通過するタキ38000
この頃でも根岸線界隈では黒いタンク車の入線自体が珍しかった
東高島
盛岡便にやや遅れて始まった、日中に根岸を発つ郡山便を牽くEF65 1065
判りづらいですがオリジナルのメッセージボードをフロントガラスに掲示する乗務員も。
返空列車は2ルートの貨車が連結された25~26両の長大編成で根岸に向かいました。
4/13 東高島
3/28 関内に進入するEF210-173牽引返空列車
4/16 桜木町~関内間 大岡川を渡る返空列車
この輸送は自動車道が復旧するまでの約1月続けられ、参集した車両も帰って行きました。
4/29 5971列車で返却されるタキ38038
タンク体に「がんばれ東北」と指でなぞったような文字が残っています(クリックすると拡大表示します)
当時磐越西線に参集したうちの1両 DD51 852[愛]
これは2012/1/13の大宮車両所への検査入場回送
2011/5/3 新鶴見機関区 EH500などにもメッセージがしばらく掲げられていました
ささやかな動画↓
線路が繋がっているからこそ出来たこの輸送、端から見ていても一ファンとしては誇らしく思ったものでした。
とはいえ平常時のタンク車などの車両や地上設備などが減り続ける現状からすると、将来万が一大災害が起こったら、このような鉄路の強みを生かした緊急支援ができるのか不安ではあります。これもライフラインですのでJR サイドだけではなく行政サイドも緊急輸送経路としての鉄道貨物維持に乗り出してもらえればいざという時安心できるのですが。。。
参考文献
吉岡心平著:私有貨車図鑑
週刊東洋経済 2011/4/16号
ほか
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