奥 沢
目蒲線が目黒線と多摩川線に分割される4日前の平成12(2000)年8月2日、一部の列車が4両ではなく3両で運転されるというニュースリリースがあったので、その歴史的光景(←ちょっと誇張しました。)を記録すべく大岡山へ朝ラッシュの運転を撮影に訪れました。
構図にセンスがないですが、今回はノートリミングで、、、
唯一2M2Tだったため万年予備車と言われていた7205F(7205-7552+7255-7505)
この頃になるとほぼ毎日運用に入っていました
7260F(7260-7451-7452-7560)
3M1Tの貫通4両
7909F
7904F
7911F
この3本はワンマン3両対応化からもれました
目蒲線離脱後は先頭車だけ十和田観光電鉄へ譲渡され、同社と運命を共にします
1013F
この時点では池上線所属の3両編成でしたが、離脱編成の代役として走りました
こちらは先頭車だらけの7211F(7211+7204+7210-7504)
最後部の7211と7209Fの7259は後に上の7700系とともに十和田に、残りは豊橋鉄道に渡ります
翌8月3日、7200系がデヤに挟まれて長津田へ廃車回送されました
奥沢~大岡山間にて
メモによるとこの日回送されたのは7209F
6両で6基のパンタをかざして走り去りました
この光景が翌日も展開されたので、機材をビデオカメラに替えて撮影したのが冒頭の動画という訳です。
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