2018年1月20日土曜日

こどもの国線と弾薬庫線の痕跡【@市電保存館】

横浜市電保存館“しでんほーる”で月一回開催されている定期講座を聴講してまいりました。
今回のお題は「こどもの国線の近現代」という事で、昨年4月に発売の“Rail”誌No.102にこどもの国線について執筆された関田克孝氏の講演でした。
内容は概ねレイル誌の記事に沿ったものではありましたが、

  • 初代こどもの国線専用車のデハ3405は、もともと3450形両運車(3450・3498・3499の3両)と共に二子橋の輸送障害時(←増水による走行制限?)に二子玉川園〜溝の口間を単行で折り返し運転が賄えるよう両運転台で残されていた
  • 3405はこどもの国線塗装初期には屋根もピンク色だった(同線開業時には灰色化)
  • 沿線への東急長津田工場開業の条件として、入出場車両がこどもの国線の列車運行を極力妨げないよう牽引車を用意する取り決めがあったのでデキ3021が配置された
  • 同じく入換車だったデワ3043(←デハ3498)も夜間に救援車として出動できるよう復旧資材を積んでいた

といった東急電車ファンのワタシにとっては大変興味深い話が聴けました。

↑披露された往時のポスター

その中で沿線に残された弾薬庫線時代の遺構についても触れられ、ワタシも以前散策したときに少々写真を撮ってありましたのでそちらをアップします。
以下、平成13年(2001)11月 恩田~こどもの国間にて撮影
↑途中で分岐するピット線跡にあるガーダー橋

↑西の谷と東の谷の分岐部分に埋まっていた線路

↑分岐した先にもレールが埋まっている個所が…
 最近行っていないのでこれらが今もあるのかは把握していませんが、わざとらしささえ感じる遺構の残り方なので当時不思議に思ったものです。
それが今日のお話によると「(旧)大蔵省の管理地のためみだりに手を付けてはならない」といった内容の注意書きがどこかにあるという事でしたので納得がいきました。

さて、先のレイル誌でも触れられている様にこどもの国の園内にはかつて横浜市電1165号車が展示されていました。
今回の講座の開催地が市電保存館であることにちなんでその市電が写っている写真を探してきました↓
たぶん昭和55年(1980)前後だと思いますが、左に写っているのは幼少の頃のワタシで右は姉です。後でバレると怖いのでぼかしを多めにしていますwww
整備前の久良岐公園の市電=1156に勝るとも劣らない荒廃ぶりだったようですが、写真で見る限り窓ガラスやつり革が撤去されているのが判ります。
1150型後期型の特徴であるバス窓も確認できますが、当時そこまで分かるわけもなく、ただ単に「小田急みたいな色した変なちんちん電車」という印象しかありませんでした。

逗子市の池子弾薬庫跡ともどもアヤシイ過去を持つこのこどもの国の過去に迫る内容に大いに満足し、気分よく帰路に就いたのでした。

それはそうとまったくやめる気配のない電動貨車10号の花電車装飾↓
今はお正月仕様です。

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