↑「トレインドリーム」にて
KATOからNゲージで20系+12系の日南・かいもんの製品化発表が数ヶ月前にありましたが、ワタシはその頃HOながら既に同列車の再現に取り組んでおりました。それが完成したので披露いたします。
だいぶ前、天賞堂製EF59に牽かせる客車としてさらっと紹介したKATOベースの20系+12系客車ですが、N製品の手入れをしたあとこちらも手を加えたくなったので着手しました。
まず懸案であった20系の上側の白帯1本を消します。N製品の帯を消しゴムで消したというつぶやきを見かけたのでHOでもできるかも…と考え、丹念に消しゴムをかけたらほとんど消えてくれました。ただし当たり所が悪いとブルーの塗装も落ちます。
次に先送りしていたB寝台表示窓の埋め込み。1×2㎜プラ材をなるべくぴったりになるよう切り出してはめ込み、
↓
溶きパテを盛って耐水ペーパーを掛けて平滑にする…と言う古典的な工程なのですがワタシはそれが大の苦手な工程。以前は埋め込むのをエポキシパテでやって瞬間接着剤で表面を固め、すり減った耐水ペーパーで磨き続けてるうちに余計なところが削れてちっとも平滑に仕上げられないと言う失敗を何度もしていたのですか、最近になってプラ車体はプラ材で埋め、またその時点で極力平らに仕上げておくと後が楽だという事をようやく学びました。
白帯から下をマスキングし、青20号にブラックを混ぜてカトー製品の色に近づけたブルーを吹いてクリアー吹きして仕上げました。
内装も寝台が水色で表現されているのでタミヤのフラットブルーを筆塗り。だいぶ雑ですが手軽にカラーマスキングテープで窓のロールカーテンや寝台の横引きカーテンを表現してみました。
テールマークはモリヤスタジオのものを切り出して両面テープで貼り付け。側面表示もモリヤスタジオのステッカーを貼り付けてあります。
ナハネフ22 1007は貝塚公園にある現存車の熱心な保存活動に敬意を表して光沢仕上げ
ナハネ20は半光沢仕上げ。ナンバーは当時の配置表を見なから適当にナハネ20 1126としました
12系の方は、屋根板とベンチレーターでグレーの色合いが違うことに違和感を感じるのでどちらもねずみ色1号に塗装。車体は半光沢クリアスプレーを吹いてみました。
また製品のままでは連結面間隔が開きすぎるのでナハネの12系と連結する面を含めてIMONカプラーに交換済みです。
車内は簡単にフラットブルーと明灰白色で筆塗り。
スハフ2両のうち1両はリクライニングシート化改造をされた設定でシートをホビセンで調達したイス(14系座席車の簡リクシート?)に交換。元のボックスシートパーツを外してあらかじめ適当な赤色に塗ったイスパーツを一脚ずつに切り分けて接着。最後に枕カバーをホワイトで筆塗りしました。
日南かいもんの座席車が全車リクライニングシート化されていたことは有名ですが、組み込み始まったのは20系から24系への置き換えのあった1986年11月ダイヤ改正の少し前に指定席からと判明し、わずかながら20系時代にかぶっていたので設定上十分OKでしょう。
側面方向幕はジオマトリックスのセミオーダー品で[西鹿児島]を選択して発注したもの。サボはレボリューションファクトリーのステッカーをそれぞれ貼り付け。“鹿カコ”の所属標記もレボリューションファクトリーのインレタです。
20系同様YFSのフィギュアを乗せ、ガラスパーツにシルバーのマスキングテープを貼ってブラインドを簡易的に再現。室内灯はカトー純正の白色灯を仕込みました。
それに発表済みのオハシと、
トミックスのオユ10、
中古でゲットしたED76を牽引機に仕立てて編成が整いました。
どさくさ紛れにJAMコンベンションで展示したあと、
相模原のHOレンタルレイアウト“トレインドリーム”さんで試運転。ところがスハフ12を2両とも持ってくるのを忘れるは、室内灯がナハネフもオハシも点かないはでグダグダな結果に。。。
↑その時の動画
室内灯はその場で何度か組み直したものの結局点きませんでした。カトーのHO用室内灯ってどうしてこんなに接点を合わせづらいんでしょう…😩
これはリベンジ必至ですな
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