1か月ほど前に家のパソコンを買い替えまして、 それにともなってブログ等に写真を上げるのに使っている画像編集ソフトも新しいものにしました。
そのソフトに変色した古いフィルム写真の画像を自動で修復する機能が付いており、その機能を使って古い画像を修復してみると色合いが蘇るのが嬉しくなって、アップ済みのブログの画像を差し替えたりもしているところです。
中には変色してブログにアップするのをためらっていた写真もあったのですが、ある程度鑑賞に耐えられるものになってきたので、今回はそういう1ネタをアップします。
1993年₍平5₎1月、日本海側の雪景色の写真を撮りたくなったのか快速ムーンライトと鈍行の乗り継ぎで羽越本線の北余目~砂越間にかかる最上川橋梁の付近を散策しました。
新潟色のキハ58系4両。撮影メモによると「急行 庄内」とのこと
この頃はまだキハ58による急行がいくらかは走っていたものです。
こちらはキハ47の普通列車
東北色キハ40+キハ58+国鉄色キハ28のこの3両編成は陸羽西線の快速でしょうか
国鉄色485系6両の「いなほ」
橋を渡って北余目側に写り、鳥海山をバックに撮影したジョイフルトレイン“シルフィード”
のちの2015年12月に痛ましい脱線事故が起きたのはこのあたりの様です。
その後酒田の蔵めぐりをしていた母と合流して出羽三山神社に立ち寄った後…
鶴岡に戻ってひとりで新潟方の田んぼ付近で列車撮影
ブレてますがヒサシ付きEF81牽引の50系
当時はごくありふれた鈍行列車でした。
通過していくカヌ座の団臨
鶴岡駅の発車案内に団体列車と出ていたので慌てて線路端に繰り出して待ち構えたらこれが来たのでした。
上の写真を撮った辺りはもしかしたらかつての庄内交通湯の浜線が羽越線から離れていく箇所かもしれませんが当然その痕跡はありません。
鶴岡の周辺観光案内の中に善宝寺鉄道記念館という施設名が目に入っていたものの、現地調達した漫画本を待合室で読みふけってしまい、足を運ぶ機会を逸してしまった事は後悔しきりです。その湯の浜電車を記念したその施設は1999年に閉館し、保存されていたモハ3号車を見る唯一の機会をみすみす逃してしまったのですから。。。
風のうわさでは記念館の建物は解体され、モハ3は朽ち果てた状態で残っているらしいですが、残念ながら解体は時間の問題でしょうね
その後夜まで時間をつぶした後、村上からまたムーンライト号で帰宅の途についたのでした
村上で撮った写真↑
写っているEF81 143牽引のレッドトレインから165系ムーンライトへの乗り換えでした
これでも色合いがずいぶん修復できた方で、当のワタシにとっては当時の思い出が鮮明によみがえる思いです。
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