ちょっと出遅れましたが、トミックス45周年記念モデルとしてタキ3000形米タンセットのが製品化発表がされてから以前アップしたブログ記事(相鉄の米タン・相鉄・厚木基地専用線の米タン列車‐その2‐)のアクセス数が急激に伸びたようですので、改めて米軍所有のタキ3000について記事にします。
長らく米軍基地への燃料輸送に活躍していたタキ3000はタンク体上部のドームが角ばった初期タイプばかりであったためか1990年代後半になるとNRSこと日本陸運産業㈱所有の同形に置き換えが進んで見かける機会が減っていました。
1996年3月、クモハ12さよなら運転を撮影に鶴見線安善駅に行った時に見かけたタキ3156
その少し前、構内に留置されていたタキ3129
所有者標記の代わりに70万番台の管理番号が大書きされているのになにか不気味さを感じたものでした。
同駅裏手にはすでに主力になっていたタキ35000がタキ3000とともに留置されていました
拝島の横田基地と青森の三沢基地向けの燃料輸送がNRSのタキ35000に置き換えられ、最後は厚木基地向け輸送にNRS車に混ざって細々と運用されていましたが、たしか三沢基地向け燃料の鉄道輸送が廃止になったことでその分のタキ35000が関東に異動してきた(←陸前山王発川崎貨物行き化成品列車に複数のタキ35000NRS米タン車がくっついて来たのを目撃したことがあります)ことで絶滅したのでした。
1997年1月、相模大塚の留置線に到着した米タン編成に組み込まれていたタキ3154
よく見ると初期の頃の“UNITED STATES ARMY”などの英文表記の痕跡が残っています(拡大してご覧ください)。
まだピカピカのEF200-10に牽引されて茅ヶ崎に向かう米タン列車
今まさにタキ35000への置き換えの最中であったようで機関車次位は米軍所有のタキ3000で2両目はNRSの同形、後部にはタキ35000が連なっています。
なお相模線か相鉄線内の有効長の関係によるのか厚木基地向け米タンは最長でタキ7両までだったようです。
ワタシにとっては相鉄のED10牽引貨物を追っかけているうちに貨車沼に引き込まれるきっかけになった車でもあるし、田浦発着便は逗子のデハ601の目の前を通っていたであろうことにも興味をそそられたので、製品化発表を受けて文句なしに予約したのでした。
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