2014年10月22日水曜日

北の電車博物館 弘南鉄道【1989】

 鉄道雑誌一斉発売日を迎え、今月は鉄道ファン誌の最新号(2014年12月号)の弘南鉄道の記事に触発されました(笑)。

 この平成元年(1989)には、東急線が世田谷線以外ステンレスカーに統一されてすっかり色彩が乏しくなったことに食傷気味になり、8月下旬に東急を卒業した電車が走る弘南鉄道に乗りに行きました。
 当時、大鰐線にはステンレスカーの第一陣が投入されたものの未だ旧型車が多く見られて、西の琴電(ことでんのレトロ電車(2006)辺りを参照ください)とともに「動く電車博物館」と称された面影が残っていました。
その時の拙い写真を披露します。

大鰐線 津軽大沢検修区
 だいぶボロっちくなっていたモハ108 車体は京急デハ403のなれの果て
前面はイメチェンしたものの側面の大きな窓がその面影を残してます

左からクハニ1271、7037、6005、モハ108(黄ばみはプリントのにじみです)
ステンレスカーはデビュー1年足らずでパリッとしてました

上のクハニの裏に回って、元東急のモハ3404
窓が小さいままなので印象が違いますが東急デハ3450形の兄貴分です。
ワタシはこうゆう野暮ったい雰囲気の電車にゾクゾク来る性分なんです♪

クハニ1271(右) 元伊那電気鉄道の荷物合造車
さすがにもう荷物を積むことは無かったと思われますが、3400との不揃いなコンビがまたイイ!!
奥に見える倉庫はモハ106か107…かな?

中央弘前
西武経由でやってきた、もと国電のモハ1122&クハ1612ペア

 この2両は同年秋のステンレスカー第二陣到着後も「ビール列車」専用として川造型クハと3両編成になってしばらく生き長らえました。
 それに備えてか検査・再塗装をしたようで、ピカピカな状態で快速運用に入っていました
モハの画像の奥に見える担当乗務員のお二人に「兄ちゃんどっから来たの?」「写真撮る間どいてやるよ」的な声を掛けてもらったのも良い思い出です。

奥羽本線車内から見た大鰐駅の改札(左)
改札を入るとJRのホームを通行する地方ならではの構造
今もそんなに変わってない…かな?


弘南線に飛び、弘南黒石に到着
モハ3613
東急時代は写真でしか知らないのであまりピンときませんでしたが、東急線で活躍した元国電戦災復旧車。隣りには仲間の増結用クハが置いてありました

クハ3775
同じく東急から来た車、この全金属車体の方にはなじみがあります

弘前
クハ3779 やっぱり東急の元戦災国電
この車は上の3613と違って貫通路が生きているので好ましいスタイルです♡
 このほか阪和電鉄出身のクハ2025・2026や17m国電サハ17の先頭改造車なども車窓から確認しましたが写真は撮れず(泣)。
 弘南線にはステンレスカーが入る直前で、東急つり掛け車が都内とはうって変わって一面の田園地帯をのんびり走っていることに感激しました。


 同じ旅程で三沢にも足をのばしましたが、時間を見間違える痛恨のミスで十和田観光電鉄線には乗車体験できず、この一枚を撮っただけで引き返しました↓。
発車を待つモハ3401単行

※参考文献:RM  LIBRARY 132~133 弘南鉄道 上・下巻
※2024年4月24日 修復画像に差替え
JR:東北エリア‘89
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