2018年8月22日水曜日

夕張鉄道の遺構

  • 【27年ぶり!】JR北海道の車両たちと夕張支線で夕張入りしたのはただのお名残乗車ではありません。
  •  前々回の定山渓鉄道本の中に「定鉄を札幌から上江別に伸ばして夕張鉄道と接続させる」という“札幌急行鉄道”構想に東急電鉄の五島慶太翁が乗り出していた…という記述があったことから、札幌からどうして炭鉱鉄道である夕鉄につながるのかピンと来ず、夕張鉄道についても調べてみたくなったからです。


夕張駅前のホテルレースイで自転車を借り、まずは夕張の奥地に進んでみます。
奥に石炭博物館があるようですが、残念ながらこの日は休業日で入れず…

その手前の駐車場に立っている煙突は水炭コークス場跡らしいです。

夕張駅側に戻る途中、本町ふれあい公園辺りで見つけた橋台

夕張市役所の庁舎あたりが夕張本町駅跡の模様。

さらに下ってきてセイコーマート夕張本町店のちょっと先辺りにわずかに道床跡が
(画面左寄りの砂利部分)


JR夕張駅を通り過ぎると、JRの線路に沿ってサイクリングロードが続いており、夕鉄の廃線跡だろうと断定して進みます。

ちなみにこの辺りで野生のシカに出くわしました。
自然豊かなところですね!

 鹿の谷駅の構内に入る辺りで夕張川が石勝線を横切っているのですが、そこにレンガ積みの橋台が残っているのを発見!
シラカバの木が生えてしまっているので根の張り方によっては崩落の可能性もあるかも。

JRの線路の方にも現在使われている橋梁に沿って古い石積み橋台とガーダーが残っています。

少し進んで鹿の谷駅の跨線橋から見下ろすと広大な空き地
旧国鉄と夕鉄の接続駅でしたのでヤードがあり、JR線路と離れたサイクリングロードの辺りに夕鉄旅客ホームがあったようです。貨物取扱規模の多さがうかがい知れます。

鹿の谷を過ぎ、さらに清水沢方向に進むとサイクリングロードは再びJR線路に沿います。
「営林所前踏切」と書いてあったので夕鉄営林所前駅はこの辺かな?

もっと進み、、、
車両進入禁止(自転車なら大丈夫のはず)の柵の右には

JRの踏切があり、名称を見ると「若菜駅前通り踏切」と夕鉄の名残。

さらに驚くことに1つ上の画像の右奥には…
茂みの中に石積みのホームが続いているではないですか!!
一時は旅客列車の終点だっただけあってざっと100mくらいはありました。

もう1駅となりの夕製前駅の痕跡はよくわからず。
この辺かなぁ?

その後、一旦道路に合流した後、
↑の煙突は北炭化成工業所

 
再度右に別れ、急な勾配を下り、

JRと交差します。

下から見ると
一部の橋脚は石積みのガッチリしたもの
夕鉄時代からのものでしょうね。

 夕張市平和運動公園を挟んだ向こうには赤い鉄橋も見えました。
現役の頃の地図ではこの辺りで大きくUターンした後、向こうの山地を栗山方面に抜けていた様ですので、この鉄橋も夕鉄のものでしょう。

雨が強くなり、また自転車の返却時間もあるので道道38号線に沿って夕張に引き返します。
途中見かけた古めかしい夕鉄バス車庫

橋を挟んだ対岸には現夕鉄バスの営業所
 古い方は民間にでも払い下げたものでしょうか?

その後、回りまわって室蘭本線を北上しまして
栗山駅手前辺りから夕張方向を見たところ。
車窓をずっと見ていたものの廃線跡はよくわからず。

栗山を出て、今度は江別方面への分岐跡を探すと、
この道でしょうか?

 岩見沢を経由して函館本線高砂に回り、少し南側にある北海鋼機㈱に沿う道へ
ここには腕木式信号機のモニュメントがあることが下調べで分かったので見てきました。

少し先で振り返り
この道自体が廃線跡らしいとのこと

もっと先の野幌駅が夕張鉄道の起点でしたが、今はJRは高架化されているので跡形もありません。

もともと夕鉄は石炭車を小樽方面に逃がすためにここまで路線を延ばしたそうでして、今は札幌の通勤圏内ですので冒頭の構想は分からなくはない印象です。
もし本当に札幌急行鉄道が実現していたら東急グループの経営努力によって夕張も今とは全く違う発展をしていたかも・・・という妄想をせずにはいられません。

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