2025年6月29日日曜日

パンダくろしお【和歌山のパンダは不在】

 パンダ好きの妻が「そろそろ息子にパンダを見せたい」というリクエストがあったので、スケジュールの都合が付く6月最終週の週末に5年ぶりの和歌山県白浜への旅行を計画しました。
しかし! 報道の通り白浜にいるパンダが4頭全部中国へ返還される事になり、1日違いでパンダが見れない事になりました。。。

旅行自体取り止めようかとも思いましたが、息子的にはパンダくろしおの方が本命でして、事と次第によってはそれも無くなってしまう恐れがあるのでやっぱり行くことにしました。
余談ですが、最初の計画ではチケットが有料になる3歳に達していない2歳さんだから飛行機で南紀白浜空港まで行くつもりでいたら、当の息子から強く拒否されたので鉄路になりました。どうやらそういう所はワタシに似たようです😥

ということで当日新幹線から新大阪で「くろしお13号」に乗り換え。
往路の13号はHC605=“パンダくろしお Smileアドベンチャートレイン”編成でした
※例によって子供は顔出しNGです

息子は新幹線に乗ってる内に寝てしまいましたが、JRの方からステッカーをもらいました

座席は山側でしたが海側の絶景をちらちら見つつ…

終点白浜に到着。パンダフィーバーの影響か増結車が後ろについていました(付属編成の車番はわからず)。

息子の体力を考慮してこの日はホテルに直行
ホテルの足湯越しに見た日の入りがあまりに良かったので思わずスマホでパシャリ
@SHIRAHAMA KEY TERRACE ホテルシーモア

翌朝、ホテルをチェックアウトして旅館組合の送迎バスで開園前のアドベンチャーワールドへ

こちらでは入園時に旗をもらえましたが、パンダファミリーはワタシ達がホテルを出る頃に既に出発していた模様。本っっ当ーにタッチの差でした…

パンダはパンダでもレッサーパンダは普通にいました。暑そうですねぇ💧

ありがとうパンダ一色の園内

主のいない“パンダラブ”はスルーして

列車タイプの“ケニア号”でサファリパークを回ります

連結器がゴツい

サイとか

クマとかを見物

なんとなく気になったので一周回って降りてから機関車の正面をチラ見

イルカなどのショーの“マリンライブ”を少し見て

昼食をとったところで対園
パンダラッピングの明光バスで白浜駅に戻ります

車内もパンダでぎっしり

白浜駅に到着

終端ホームで折り返し車内整備中の289系J4編成
この683系の転用車はまともに見れたのは初めてです。と言っても乗るのはこれではなく

帰りも287系充当列車の「くろしお22号」を狙ったものの、パンダくろしおでないHC603編成でした。前に停車中の増結編成に連結したら乗車。

行きも帰りもインバウンドの海外からの方が多めでした

終点新大阪に到着。あわただしく新幹線に乗り換えて帰路に就きました。
くろしお号乗車時には寝入っていた息子は日根野到着の頃に目を覚まし、初めての動物園と大阪の電車に興奮しっぱなし。他の乗客の皆さんにご迷惑だったのではないかとヒヤヒヤものの旅程でした。

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2025年6月24日火曜日

井の頭のステンプラカー【クラファン案件】

 ご存じの通り、もと京王井の頭線3000系→北陸鉄道8800系を関東で保存するためのクラウドファンディングが7/31まで実施されています。

ワタシは学生時代に井の頭線で通学していた時期があり、3000系の中でも2本しかいない狭幅車の3751Fと3752Fはその頃は日中は走らず、朝に渋谷からいつも乗る列車の1本前の富士見ヶ丘止まりとして発車して行くのをチラッと見れるだけの存在でした。

おそらく遠からず廃車になるだろうと察知し、一度撮影できたのがこちら↓
1995年11月、高井戸付近で撮影したクハ3701ほか(過去記事より再掲)
こんな写真しか撮れないうちに引退してしまい、その後の北陸鉄道に譲渡後も残念ながら足が向かないうちに営業運転が終了しました。

そして保存会が立ち上がりクラウドファンディングに挑戦されているわけですが、振り返ってみると京王電鉄でも井の頭線の過去の車両で現存するのは京王れーるランドのクハ3719くらいですが、そちらは3000系の中でも後期型かつ更新後の姿で、この初期の狭幅車の3701号とは好対照ですのでその意義でも残す価値があるうえ、なにより京王“帝都”電鉄の帝都線(→井の頭線)側の車両でこれより古い車両は残っていませんので、その歴史を振り返る上でも欠かすことのできない貴重な産業遺産と言って過言ではないでしょう。

なのでいづれはゆかりの地に落ち着くことを期待して、“首都圏電車区”への引き取りについて一口乗りたいと思います。
クラウドファンディングページ↓

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2025年6月23日月曜日

デビューの頃の185系【1980?】

去る6/18夜に東大宮(操)を発った配給列車でC1編成が長野に廃車回送されたことで、185系電車が本線上から完全に撤退しました。
ワタシは結局リレー号塗装になった姿を見ることができませんでした・・・

その185系のデビュー当時の写真が1枚発掘できたのでアップいたします。
おそらく伊豆旅行の際に父親にせがんで撮ってもらった一枚だと思われます(この時に乗車したかどうかは不明)。
伊東駅に停車中の185系A1編成の「踊り子」。留置線には伊豆急100系が停まっています。
前面に153系との併結用ジャンパ線があることから185系がデビューしてすぐの頃でしょう。

ワタシにとっては生まれて初めて乗った特急電車がたしか伊豆旅行での踊り子号で、0番台の側面に斜めに入ったグリーンのストライプの斬新さに惚れ込み、国鉄型らしい和音のモーター音も豪快で、でっかいヘッドマークともどもお気に入りの車でした。

首都圏発の特急にしては長命な形式になりましたが、やはりいなくなると寂しいものです。
長年にわたる活躍をたたえてどこかに保存されるとよいのですが。。。

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2025年6月18日水曜日

お座敷客車“江戸”【JT】

 いくらか写真が発掘できたので、今回はジョイフルトレインの江戸についてしたためます。

1986年のデビューし、途中品川客車区→尾久区に所属が変わっても一貫して品川客車区に常駐しており、時刻表に載るような臨時列車(多客臨)に起用される事も多いので乗ろうと思えば比較的乗りやすい編成でした。
その一つが1月1日に運転されていた「熱海初日の出」号。往路は夜明け前に品川を発車して根府川駅で停車中に車内から初日の出鑑賞をして終点は熱海という列車ですが、その折り返しも日中に熱海から品川まで営業運転、しかも快速扱いなのでグリーン指定席きっぷだけ奮発すればジョイフルトレインに気軽に乗れるため、初日の出に興味の無いワタシも一人で乗ったことがあります。
1992年1月1日、始発駅の熱海にヘッドマークを付けたEF58 61の牽引で江戸が入線。
わくわくしながら乗車します。

ピンボケですが車内はこんな感じ。欄間が良い味出してますが外は見づらい…

機関車側の展望室。ロクイチと向き合うステキなシチュエーションですが、グループで独占している感じで入りづらい雰囲気でしたのでこの写真だけ取って退散。

終点の品川に到着

乗客を降ろすと客車区に引き上げていきました。

月日は流れ、EF64 1001とEF58 61とのプッシュプルでのさよなら運転をもって現役を引退。14年間の活躍に幕を閉じます。 ↑は2000年(平12)3月31日、新鶴見(信)で撮影

↑オロ12 850ほか(2000年10月)
中間車は大宮構内でしばらく留置されていましたが、やがて全車解体されました。

引退から25年も経つのですから、もう若い鉄道ファンの皆さんにとっては生まれる前の話になりますね。
こういった客車ジョイフルトレインが何本も走っていた時代があったんです。

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弘南風ミニレイアウト3~完成へ【N】

完成状態の駅↑

完成させてから多忙と体調を崩したりしたのでずいぶん魔場合てしまいましたが弘南風ミニレイアウト~着手から緑化~【N】 のつづき。
ひととおり緑化したら線路をエアブラシで汚します。
いつも通りタミヤエナメルのレッドブラウンとフラットブラックの重ね吹き。レール踏面は吹き終わってから拭き取りました。

神社の周囲には色あせてしまった初期のバスコレ(小田急ボンネットバス)や、

ジオラマの模様替えで使い道がなくなっていたIORI工房製のT型フォードなんぞを汚して忍ばせてみました。
夏祭りの日以外は人気が無いものの、なぜか周辺に古い乗り物がよく残るスポットという設定。亡き某氏にちなんで「松実神社」とでも名付けましょうか。

~ここからは製作中に写真を撮りそこねたので完成写真になります~
神社とその周りはこんな風に仕上がりました。結構雰囲気でたかな?
架線柱はおなじみグリーンマックスの複線タイプをカットして建てました。横に伸びるビームが“ト”の字型のシンプルなタイプがベストなのですが…トミックスやカトーからプラ製品が出ないかなぁ

車庫裏の廃車体倉庫も神社の恩恵(?)。はじめは鉄コレの元クモハ11でも置こうかと思ったのですが、このスキンステンレスボディの方がいかにもこのスポットらしいので、事業者限定版の東急6000系中間車の床板を外して置きました。
車庫は1スパン分長さを縮めて作ったので、実質的に除雪車庫といった程度の規模になりました。

過去作ではポイントマシンにバラスト固着のために流したボンド水がしみ込んで動作しなくなった失敗もしたので、ポイント周囲は最後に水気の少ないボンド布用クリアで薄く固める作戦をとりました。それをやったあと掃除機で不要なバラストを吸い取ろうとしたら、必要な箇所も固着していなくてバラストがごっそりなくなってしまってがく然とする失敗もありました。が、なんとかリカバリー。

道路と線路の間の柵は桜梅堂のペーパー製のものです。

踏切警報器と遮断機は津川洋行の完成品ですが、色味が気に入らなかったので筆塗りしなおしました。

駅舎の裏の“農業は社会の母”というスローガン看板は、1989年の青森初到達の際に奥羽本線の車窓から見かけた文言が妙に印象的だったので、パソコンでそれっぽく再現した文章をトミックスの広告看板(対向式ホームの付属品)に貼ってみました。

津軽大沢名物の恐ろしげな“最悪死にます”看板(↑画像左端)も自分で撮った写真と余り物でそれっぽく作って配してみました。

りんご畑はカトーのフォーリッジに果実素材をばらまいて表現。横着して地面に固定してからバラスト糊を振りかけてその上に実をまいたのでかなり多く地面に落ちてしまいました…

田んぼについては…田んぼアートを筆塗りで表現したのですが、全体像の披露はちょっとだけ先延ばしにします。
というのもコンペの締切に滑り込みで間に合ったので、結果発表でもし誌面に載ることができたら皆さんあっと驚くような仕上がりになったのでそれまで伏せます。
さてどうなりますやら😏

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