かつて東急には渋谷から二子玉川までの“玉川線”という路面電車があって、その二子玉川から脇にそれる砧(きぬた)線という支線もあった…という史実はいくつもの書籍で紹介されていえ有名な話ですが、恥ずかしながらつい最近までその砧線のルートを把握できていませんでした。
それが昨年たまたま付近で路線バスに乗ったときに廃線跡らしきカーブを見かけたことをきっかけにようやく確認できたので、時間を作って歩いてみました。
二子玉川から東急バスで砧本村にまず移動。往復でルートが異なるので、行きにバスを利用するとだいたい砧線跡をトレースする様です。
砧本村バス停全景
時間調整することもある主要バス停で、バスは右から来て一回転して停まり、左方向に抜けていきます。
画面右手に見えるバス待合所はつい数年前まで電停の屋根を移築した物が建っていたのですが、今は新しい建物に建て替えられました。
乗ってきたバスのルートをさかのぼります
右手に砧下浄水場を見つつ進み、二又の道を左へ
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少し行くと鎌田町南睦会会館(町内会の集会場?)があり
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敷地に三角柱のトラスが建っているのを発見!
電車の架線柱かも!? と思いましたが、ざっと現役時代の画像を検索すると写っているのは木製ポールばかりなので、結局砧線と関連があるかどうかは不明です。
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さらに進むと先ほど二又に分かれた道と合流
ちょうど砧本村に向かうバスが通って行きました(画像奥が砧本村方)
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鉄道跡らしいゆるいカーブが続き
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三角公園というバス停名にもなっている公園が左にあります
この付近に戦前に2年だけあったという砧線の幻の駅=伊勢宮河原駅があって旅客と砂利を扱っていたそうです(ソースは後述します)
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その先でさらに左にカーブして野川に架かる吉沢橋を渡ります
橋自体は近年架け替えられたらしき今風の橋梁ですが軌道時代からあった様です。
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川を見たらアオサギ(?)が1羽いました
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橋を渡りきると吉沢バス停←発音はよしざわの“し”にアクセントがつくらしい
砧線時代の吉沢電停もこの辺りだったそうです
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その先の吉沢橋交差点で多摩堤通りと交差
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軌道跡はここから道路から離れて一本裏の道につづきます
この画像の遊歩道(花みず木通り)のカーブに気が付いたのが今回の探索のきっかけだったのでした
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この遊歩道は両サイドが歩道で中央が自転車道(街路樹をはさんで方向別に分かれる)というちょっと不思議な区分
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カーブから直線になり
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途中のファミリーマートの前辺りにはレールを使ったガードレールもありました。
で、そのファミマ辺りから表通り(中吉通り)に出て少し逆戻りすると玉電と郷土の歴史館(旧大勝庵)があるので、せっかくですから入ってみました。
こちらには世田谷線(書くまでもないですが玉川線系統のうちの生き残った路線)で1999年まで活躍したデハ71号車の運転台部分が展示されています。
前面は見えない置かれ方です
入らせていただきました
背面には小さな腰かけ。それまでたって運転していましたが晩年に設置された設備
ワタシの学生時代に通学で乗り、よく運転台を眺めていたので懐かしく感じます。
館長の大塚様に話を伺うと、
- 経営していた蕎麦屋で、もともと趣味でレトログッズの収集をしていた
- あるとき電鉄社員からこの運転台を引き取らないかと聞かれ、店にちょうど入る大きさだったので運命だと思ってOKした
- それ以降 運転台が呼び水となって鉄道廃品が方々から寄贈されてこの規模になった
- 蕎麦屋はたたみ、ミュージアム1本に絞っている
- こうして愛好家が訪ねて来てくれるのが何より嬉しい
- 足が弱ってしまい、待合所が新しくなった砧本村を見に行くこともまだできていない
- 役所は区民の苦情があるとすぐ古い物を壊してしまう。砧本村の上屋も吉沢付近にあった東急マーク付きの境界石も少し前まで残っていたのに…
といった話を聞かせていただきました。
お話通りお宝鉄道部品と
レトロなコレクション
さらに手製の廃線跡マップも頂いたので、幻の伊勢宮河原駅についても特定できた訳です。
店先に飾ってあるパンタグラフも紛れもなくデハ71のものだそうです
歴史館を辞してさらに二子玉川方に向かいます。
中耕地電停跡に建つ石碑
あとは特に痕跡はなく二子玉川のビル群に消えてしまいます。
わずか2.2㎞の短い廃線跡ですが、廃止から50年以上経過しているにしては満足いく成果でした。皆さまもぜひ足を運んで見てください。
特に資料館は来訪すると館長さまに喜ばれます(笑)。
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