E353系量産先行車を後押しする7254
ネット情報によると、総合車両製作所横浜事業所で長く入換車として従事していた元東急→上田7252と7254が陸送搬出されたとのこと。たぶん解体でしょうね。。。
さかのぼるとこの2両はどちらも1983年(昭58)12月に雪が谷に転属。翌年春に池上線初のカルダン駆動車でステンレスカーで冷房車としてデビューした2編成の五反田方先頭車として文字通り光輝く存在でした。
小学3年生だったワタシは1984年の年明けから本格的に始まった試運転(乗務員訓練)をよく見かけ、営業運転入りを待ち遠しく思ったものでした。
いよいよ通常運転が始まると、各駅のホームの壁に車掌の停止限界確認のため貼られた“3形”のプレートの少し後ろに“7”と書かれた新しいプレートが増えていてボディが長くなったんだなーど実感したり、冷房の効いた車内に感激を覚えたりしたものでした。なにより吊りかけではない甲高く軽いモーター音ともども大井町線や東横線並の電車が入ったことが誇らしく思ったものです。と思ったのも最初だけで、3000系を置き換えて7200系だらけになったらうんざりしたものですが…それもあって東急時代のズバリこの車の写真がありません😓
その後7200系はワンマン化に備えて1000N’系に置き換えとなり、4両化して目蒲線に転属するものと上田交通別所線に譲渡される車両とに分ける複雑な編成替えを経て、今回の2両は上田にわたります。
その編成替えは説明が非常に面倒なので過去にワタシがまとめたメモの写真を貼っておきます↓
4両化時に使える90kVAのMG・SIV装備のクハを東急側に残しておくため、上田には50kVAのSIVを吊ったクハを優先して回したようです。
上田交通時代のモハ7252
↑クラシックスタイル化されたモハ7254
下之郷の車庫に並んだ両車
後は皆さまご存じの通り上田交通(→上田電鉄)別所線での活躍を経て東急車輛製造㈱…現在の総合車両製作所で数多くの入出場車のエスコート役を兼ねた入換車となったわけです。
そんなわけで今回の7252と7254はワタシにとっては7200系のなかでも地元池上線のヒーロー的な車番だったわけで、可能であればおうちに持って帰りたい車両ですが、ほかにも大井川や豊鉄で現役の同型車もいるし、ワタシも京急電車と赤城ので手一杯なのでアクションは起こさず見送るだけにとどめます。
この事業者限定Tエボも走行化する前に実車が逝ってしまったなぁ…
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