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2022年1月31日月曜日

【ノス鉄】くりでん風EB

 
↑使用例

昨年末に購入したノスタルジック鉄道コレクション「従業員専用列車セットBのうち、機関車のEB515(国鉄EB10のフリー塗装版)を塗り替えてみました。
グレー成型の下回りを活用できるネタってことで栗原電鉄風塗装にしました。
分解して下塗り代わりの朱色5号→台枠の黄色5号を吹いてからマスキングしてクレオスのモンザレッドを車体に吹き、別成型の屋根は青20号で塗装。
仕上げに前面窓のフチに黒を、側面窓枠に白を色差ししました。

どうもこのノスタルジック鉄道コレクションシリーズは以前の鉄コレとは塗装の質が変わったようでIPAにいくらつけても落ちなかったので(←シンナーで丹念にこすれば落とせなくはないようですがかなりの手間がかかりそうだったので諦めました)、塗膜を落とすことはあきらめて朱色の下塗りだけで済ませました。

専用動力も入れましたが、製品のアーノルトカプラーのままでは見栄えが悪いので片方のカプラーを交換。カトーのグレーのナックルカプラーをこのように後端を平らに削り、
カプラーポケット内のピンに挿入
連結可能ですがこちらの方を先頭にして走らせようと思います。

まぁ栗原電鉄の電関とは似ても似つかないシロモノではありますが、あまり深く考えずに黒貨車を牽かせて遊びたいと思います😁

同じセットの電客車の方も着々と加工中。追ってアップします。

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2022年1月28日金曜日

【横浜市交通局】4000形夜間試運転! …ニーナもついでに

 
自力で走りだしました❗

昨年搬入されたブルーラインの新車=4000形(4621編成)。そろそろ本線に出てくるころかな~と思って1/27終車頃の上永谷車両基地に繰り出したところ…
その4621F1本だけ照明が付いています!
これは出て来るぞ! と判断して上永谷駅が見えるポイントに先回り。

日付変わって1/28 1:10過ぎ、左手の車庫線をしずしずと走ってきて夜間留置編成のいない下り3番線に入線

しばらくすると前照灯を点灯。そしてあざみ野方面に走り去って行きました。

動画もどうぞ↓
ここのポイントは本線のトンネルの脇なのですが、出て行ったあとトンネルからわずかに聞こえたVVVF音は先輩の3000V形に似た音に感じられました。
この日は新羽までのトンネル区間での誘導障害試験だったのかなかなか戻ってこなかったのでワタシは撤収。無事に検査が進めば日中試運転も遠からず行われる事でしょう。

おまけ
タイムラインで週末の品川構内での展示イベント(例によって有料制の)に向けてEF66 27が新鶴見まで来ていると知って上永谷に向かう途中に寄ってみたら確かにいました。
ここから先、品川までの送り込みが見れたら面白いのですが。。。

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2022年1月19日水曜日

【小田急】ワイドドアの1500形

 ラッシュ対策で側ドア幅を広くした小田急1500形は新5000形の増備で廃車が進んで残すところあと1本のみとなり、先週末に実質的なさよならツアーが開催されたので、もう離脱か…と思いきや週明け以降も定期運用に就いており、今日(1/19)も運良く日中に入ったのでちょっと足を伸ばしてみました。

あらかじめ運用を検索し、運用を拾えそうな目星をつけてJR→相鉄直通電車で大和入り
同駅14:55発の各停 相模大野行きとして来ました!
快速急行退避中にまず外観を観察

この車ならではのいびつな窓配置

あまり時間もないので乗車
車端部は2人掛け座席なんですね

東急車輛(当時)へ送り込まれて改造されたドア
内側から見るとドア窓ギリギリまで座席があり、ドアが開いている時に外から見ると開ききっていないように見える不思議な仕様になっています。

座席の上には…
小田急ではこの形式だけにある自動窓の操作ボタン

・・・などと観察しているうちにまもなく終点の相模大野

ドア閉め後、入換信号が出るまでホームに待機
しばらくすると新宿方の引上げ線に引き上げます
そして15:21発の片瀬江ノ島行きとして再び営業。また乗りこみます。
※もちろんこの間に改札を出て入り直してます

天下の小田急線だけに、平日とはいえそこそこの乗客がいたのでおとなしく乗り心地を楽みつつ大和に戻ってきました。

やはり快速急行待ちの間に反対側ホームに回って発車を見送りました

反対側にはこれも残り少ない未更新の1000形
もうおなか一杯でしたのでこちらは1ショット撮るだけに留めて引き上げました。

動画アップしました↓

1500形はワタシはだいぶご無沙汰していたものの、町田市内にある大学のキャンパスに通う際によく当たったので(←まだシングルアームパンタではなかった頃の話です)懐かしくおもいながら乗り心地を堪能したのでした。

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2022年1月18日火曜日

大阪市交通局24系@神武寺【1995】

 東急車輛製造(現:J-TREC)の甲種輸送研究がライフワークとなっているワタシですが、その栄えある(?)最初のアプローチ時の写真が出てきましたのでアップいたします。
1995年4月、京急逗子線神武寺にて
この時はじめて鉄道誌の甲種輸送情報を見て、京急線内での輸送が見られるかも…と思って発送日前日の昼に神武寺まで行ってみたのですが東急車輛での3001+3499で触れたとおり実際には前日の終車後に輸送されていて側線に到着済みで見事に空振りしたのでした。
仕方なしに沿道から側線に留置されている被輸送車両=大阪市営地下鉄中央線用24系(24609号車ほか第9編成)だけ1枚撮って引き上げた訳です。

今見ると大阪市営地下鉄→大阪メトロの車両がいるというのもさることながら、線路の向こうもまだ造成中だったようです。この“池子弾薬庫跡”を日本側に返還されるのかされないのかで連日ニュースになっていた覚えがありますが、もめにもめた上で今ある米軍住宅に転用されたのでした。

この写真を撮ったあと場所を変えて別の写真も撮ったのですが、大人の事情で出すに出せません😑 なので今回は画像1枚だけでご容赦ください。

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2022年1月15日土曜日

南武線の赤ホキ【車扱貨物】

 昨日に続き貨物ネタです
南武線には青梅線の奥多摩からの石灰石輸送列車が当たり前のように走っていたものでしたが、御多分に漏れずこれも1998年8月に廃止となってしまいました。
わざわざ撮影に行く機会がなかったもので、ワタシは廃止決定の報を聞いて慌てて撮影に行ったのでした。

1998年6月、府中本町~南多摩間で多摩川を渡る石灰列車

赤ホキことホキ2500や↑写真のホキ9500が16両連なる堂々とした組成。

同年8月13日
この日が最終運行日だったようですが、シャイなワタシは撮影者が密集するポイントを避けて遠巻きに見送り
この通り線路近くの撮影ポイントにはかなりの数のファンが集まっていました。
牽引するEF64 1015(未更新時代)にはヘッドマークが付いていた様です。

その前に撮影した南武線
↑ごく普通の103系高運車

↑当時ピカ一的存在だった209系ナハ1編成
こういった編成の合間に石灰列車と米タンが低速で走っており、両者を区別せず踏切を長めに作動させていたので矢向~鹿島田~平間あたりの踏切は今以上に開かない状態だったものです(のちの快速運転開始時に種別によって閉塞時間を変えるようになり改善)。

南武線では走っていて当たり前な存在だったのでこの時しかカメラを向けておらず、まともに撮影しておけばよかった…というのがワタシの石灰列車の思い出です。

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2022年1月14日金曜日

なつかしの塩積トラ【鉄道貨物】

トミックスから小坂鉄道のDD130と濃硫酸タキがNゲージで製品化だそうで、ワタシ的には即購入決定なアイテムなので弊ブログでなにか書きたい…と思ったものの、現役時代の小坂には縁が無かったためレールパークでの保存後しか写真撮ってません。。。

その代わりといっては何ですが昨年末に寄った横浜本牧のかつての名物貨物=塩積トラについてまとめます。
1998年8月
休止された国際埠頭線から横浜本牧に進入するDD5513けん引トラ列車
横浜市交4000 形にようやく対面【3000V 形二次車】…&C56 139でアップした画像と見比べていただくと、上に高速道路ができて雰囲気が一変したことがお分かりいただけるでしょう。

塩コンテナは国際埠頭で積込まれて渋川までの輸送でした。
この頃使われていたトラ70000、腐食で平板あおり戸に交換した車ですね。

こちらはその少し前まで使われていたトキ25000、この通りグリーン塗装(花王コンテナ輸送車)の者も混用されていました。
たしかこの少し前まで郡山までの工業塩輸送も有って、その郡山行きにトラ70000が用いられ、このトキ25000が渋川行きに使われていたのですが、郡山便が廃止されるとトキがトラに置き替えられた格好だったと記憶しています。

コキ104M標記車とコキ106で始められた40ft海上コンテナ輸送
こちらは今も続いている貨物ですが、フィルムの箱みたいなデザインのコンテナがちょっと古風…?

↓ここから1996年9月の撮影
“塩積専用”標記のあるトラ70000
こちらは原型あおり戸のタイプ

横浜本牧駅全景と麦芽積込み施設
ご存知ない方も多いと思いますが、ホキ9800によるビール原料の輸送も行われていました

根岸から本牧に向かう塩積返空列車。こちらはトキ25000の組成です

↓ここから1999年12月
新鶴見(信)に進入する塩トラ列車。根岸からはこの通り石油タンク車と混結での組成
最後尾の寄り目気味な赤色反射板がなんかカワイイ♥

この頃になるとトラ70000に交じって…

一部車両に残る“パイプ専用”の標記が示す通り、東海エリアで鋼材輸送に使われていたトラ45000が混じるようになっていました。

車長の違いから塩コンテナの数がトラ45000なら3つ、トラ70000なら4つ、トキ25000なら6つと積載量が異なるのも面白く感じたものですが、その後ほどなく無蓋コンテナを介してのコキ車輸送に置き替えられ、それも短命に終わって工業塩輸送自体が消滅したのでした。

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