↑オハフ60(手前)とオエ61
マイクロエースから昨年オハフ60の2両セットが発売されました。さすがに実車は見たことは無いとは言え客室に3連狭窓が並ぶ窓配置が好きな形式で、しかも車体標記などもかなりこだわっているという公式ツイッターのつぶやきが目に入ったのですご~く欲しいと思っていました。
しかしながら所属の違う同形2両セットで仕様線区も異なることから1両でじゅうぶんだと思っており、バラシ売りが始まるのを待って単品で調達したのでした。
で、さっそくバラしてつや消しクリアを吹き、ウェザリングも施した状態がこちら↑
購入したのは旭アサ所属の27号車の方。セットのもう1両の44号車は主に釧網本線の混合列車で使われていた車両のため車内にストーブが付いて屋根にその煙突が付いている特殊仕様で、それですと使い道が限られるためちょっと都合が悪いのでこちらを選びました。
北海道独特の二重窓は内側の窓枠をガラスパーツへの印刷で表現してあります
妻面
検査表記や架線注意のプレート表現とか確かに細かく表現されていて好感が持てます
内装はこのように茶色一色の成型色ですので…
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手持ちのタミヤカラーでシートの座面をフラットブルー、背ズリと仕切りをレッドブラウンに筆塗りし、手持ちのトミックスの電球色室内灯を仕込みました。
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点灯するとこんな感じ
ちょっと赤みが強いですが悪くないでしょう
で、連結相手ですが
木製荷物ドアの古風な姿にひかれて思わず落札したKATOの急行大雪セットバラし品のマニ60 245活用方法を考えようとあれこれ調べてみたところ、最後の正式な救援車として分割民営化後も生き残ったオヤ61 67に形態が近い事がわかり、それに近づける事にしました。
実車は1990年頃まで稚内に在籍し、廃車後は宗谷本線豊富駅構内に保存されており、2022年時点でも現存しています。これも見たことないですが…
↓
アフター
ナンバーから実車をたどって種車と見比べると、種車は台車をTR23に交換した車のようですので単品のマニ60と下回りをそっくり交換。同時に蓄電池箱も本州タイプの小ぶりなものに変わりました。
ナンバーも消しゴムで頑張ってこすって消した後、手持ちのくろま屋インレタを転写しました。
下がオエ61、上が床板を交換したマニ60
全体的に今回のオニの方がクラシカルな感じなのがお分かりいただけるでしょうか?
下回りを差し替えたマニ60の方は試客の緩急車として活用しています。
もちろんこちらも電球色室内灯を仕込んであります。
この2両と適当な客車を組み合わせれば蒸機時代の北海道にありそうな列車が一本仕立てられます。
ということで手持ちから起用したのが↑の2両。KATOのオハフ33戦後型・茶色(車番表記がちょうど現存するオハフ33 2555です)とトミックスの高崎旧客セットのスハフ42のナンバー変更してスハフ42 2261とした1999年朝ドラ「すずらん」撮影列車のコンビ。
これまで似合う客車がいなかった手持ちのトミックス製C57 135にようやくお供が出来ました♪
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