すでにこの頃には元日比谷線3000系の移籍がひととおり済んでいて東急5000系譲渡車などは撤収済み。東急8500や小田急Hi-SEの譲受については影も形もなかった時期です。
長野経由で須坂に着き、ホームから構内を観察。
原型のままの3000系が1両(後年のリバイバル仕様とは別物)
確か3000系が1本踏切事故にあった絡みで余った先頭車だったと思います。
日比谷線さよなら運転の時のマッコウクジラ装飾の編成もその装飾のまま走らせると言われていたのが、結局赤帯化されたのもひょっとしたらその事故車が影響したのかも…?
引退したOS0系と、、、
元東急の2600系もT2編成が中線に留置されていました。
モハ2612のサイドビュー↓
ドアの大窓がイイですね~
引退後工場に保管されていたモハ1501
その奥の線にいるのが事故に遭った3500系の様です。
1時間に1本程度運転されていた今はなき屋代線の列車に乗って離脱。
(長野から乗って来た列車に接続する屋代行きを1本見送って時間を取った様に記憶してます)
このN4編成がホームに転線してきて屋代行きに充当されました。
写真の通り非冷房の3500系。ふだん冷房車しか乗らなくなっていたので久々に乗った非冷房車の暑さが結構こたえました。
終点の屋代からしなの鉄道に乗り換え、振り返って撮った長電のりば↓
入換えの途中だったのか長電の手前にしなの鉄道色の115系がいました。
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