知識として来日は知っていましたが、思いがけず出会えたアンティークな紺のボディといい、チラリと見えた長身のダニエル車掌といい、言葉では言い表せないカンゲキを覚えたものです。
また見たいと思っていたものの運用の調べ方が分からず、国内運行終了直後(12月26日?)にようやく名残の車両公開が品川駅で行われることを知ってコンパクトカメラを持って撮りに行ったのが下の写真です。
後になって雑誌の運用予定表を見てみたら、日本国内運行中、とくに12月中は客車区などで4時間程度しか休まず、あとは12月25日のフィナーレまで44,000kmをひたすら走り続けたらしく、ずいぶんと過酷な運用に耐えたものです。
20系客車ナハネフ23を改造した控車オニ23 1
スタッフ用寝台車YU 3909
「スタッフ用」が用意されているあたりに長い旅路を実感します
荷物車(電源車)D 1286
フラッシュがトラロープに反射して黄色い影が(泣)
半室食堂・半室調理室のWR 3354
食堂の客席として使用されたプルマン車WSP 4158
巡り巡って展示物として箱根ラリック美術館に収蔵されたのはご存じの通り
その車内でお茶することがワタシのささやかな夢です
サロンバー車ARP 4164のエンブレム
サロンバー車と寝台車LX20 3551の連結面
車端部に「東シナ」「形式 LX16」「定員 16名」などと日本式の表記がされていたのが妙に印象的でした
控車マニ50 2236とEF65PF
この通りロクな写真がありません。。。
お子さまであったワタシには車内見学など畏れ多くて向かいのホームから写真を撮るのが精一杯でした。
このプロジェクトの発起人の方は「名にオリエントと付いているのにイスタンブールから東方に走ったことが無いなら走らせよう!」というような発想から出資者集めに奔走し、パリ発ユーラシア大陸横断東京行きに結びついたと聞いています。
「あの頃はバブルだったから~」といった評し方をネット上ではよく見かけますがその見方だけでは早計でしょう。鉄道史上たぐいまれなる壮大な夢を実現させた好例として語り継ぎたいものです。
※2024年3月28日追録、画像修復ソフトで写真を修復してみたので差し替え
差し替え前の画像は色あせと傷がありました↓
参考:鉄道ファン No.333
鉄道ピクトリアル No.513
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