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2014年9月19日金曜日

東急3000シリーズ引退その後

 以前の投稿(東急(旧)3000形シリーズからのつづきです。
平成元年の鋼製車3000系列の営業運転一斉引退後も解体を免れた車両が数両ありました。
おそらくは状態によって(あるいはそれプラス譲渡先の組成イメージがあったのかも…?)編成関係なく下記の12両が解体を猶予されました。

3655(左)&3861(右)
ご存じ十和田観光電鉄へ譲渡された幸運な2両
画像はこどもの国線の車内から撮影した改造まっ最中の白塗り状態

(画像手前から)3256+3501
のちに3501は某学園に引き取られたものの結局解体
サハ3250はこの系列で一番若いグループ(昭和40~42年製)でしたが
引き取り手が無く解体されました

3460+3480(画像左下にちょっと屋根が見えています)
7700系に改造される7000の甲種輸送にくっついて行き東急車輛へ払い下げ
→車体だけ活用されたらしいですが詳細をご存じの方ぜひご教示下さい<(_ _)>

弘南鉄道に旅立つ6000系と並ぶ3856(右)
上のデハ3450×2両の相方だったクハ
しばらく長津田検車区の倉庫として使われたあと、解体。

3472F(右)以下3375-3471の3連
池上線に3箇月ほど予備車として雪が谷検車区にいましたが、営業運転の機会も無いまま引退。サハ3375だけが長津田工場→検車区においてやっぱり倉庫として活用されたあと解体。

そして…
3499&3001
引き続き牽引車としてマヤ検(↑は昭和63年の検測)などで田園都市線二子玉川園~中央林間ATC化(1991年3月)まで活躍。
↑は引退して元住吉検車区に疎開中の姿。このあと東急車輛へ牽引車として引き取られました。
ちなみに目蒲線で東急70周年記念号として実質的なさよなら運転されたことはあとで雑誌の記事で知りました(泣)。

 この様に、東急での長寿の反動で地方といえど吊り掛け電車の時代ではなくなったため、最後まで残った3000系列は十和田観光電鉄以外には営業用としては再起が叶いませんでした。

おことわり:画像はトリミング加工している物もあります

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