その内3450と3360、3250以外は張り上げ屋根で前照灯がシールドビーム×2のいわゆる「海坊主」スタイルに改装されていたため、3両編成はほとんど海坊主とそうでない車との混成で、そのまとまりの無さがかえって「クセモノ揃いな古強者の一団」という印象でした。
雪が谷検車区で並ぶデハ3506と3450に合わせてリバイバルカラーになったクハ3861(左)
デハ3501
クハ3853
1989年(平成元年)3月18日の一斉引退に先駆けて、それまで3000形と7200・7600系ステンレスカーが同居していた池上・目蒲両線の内、約1週間前までに池上線の方に7200系、目蒲線に3000形を集めてから目蒲線を一気に7000・7700系の4両編成に置き換える2段階の作戦が採られました。
一路線分の車両を総取っかえするということもあり、3月18・19日の2日間で、離脱した編成を2本繋いだ6両という歴代最長の編成(←昭和40年代に3600形が東横線で6両を組んでいたので厳密には歴代タイ記録になります)で続々と廃車回送され、最後に一花咲かせて3000形は長く君臨した東京城南エリアから退いて行きました。
その時ワタシはというと、3月19日から目蒲線の全列車がステンレスカーの4両に統一されるのを、その日から3000形に混じって4両が営業運転を始めるものと思い込んで、19日に蒲田でコンパクトカメラを手に、来るはずの無い3000形を待っていました。
ちなみにその時撮ったのがこれ↑
方向幕が間に合わなかったのか3450のサボを付けた目蒲線デビュー初日の7053F
廃車となった車は長津田検車区の隅で解体されました。↑の写真は車号は不明ですが、6両のまま解体線に入った3500形の編成。既に下り方(画像奥側)先頭車がバラされているのがお分りいただけますでしょうか?
8500系と並ぶ保留中のクハ3856
今回の投稿の写真の多くをトリミングしています。そうしなければ使えない写真ばかりて、満足にこの系列を記録できなかったことの後悔の念から撮りテツになっていった訳です。
- 東急3000シリーズ引退その後につづく
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